- ・按摩の伝来・按摩伝来以前の手技療法は
- ・按摩関連書籍、その他年表・嬉遊笑覧・按摩の笛
- ・喜多院「五百羅漢」と按摩周辺・江戸期按摩立体3D石像
- ・按摩科・按摩治療・按摩科雑載・按摩の鈴・按摩とり
- ・「瞽盲社会史」第五節 按摩及び鍼術・江戸時代の按摩諸流派
- ・「横浜繁昌記」・「熊谷百物語」
- ・「福富草紙」嫗が夫の腰を踏む(足力)・「北斎漫画」・「東海道五十三次」歌川広重
- ・葛飾北斎「馬喰町大道彙図」・暁斎漫画「盲人群像」
喜多院「五百羅漢」と按摩周辺
天台宗・星野山無量寿寺喜多院は天長七年(830年)円仁慈覚大師が開山。
江戸時代初期に徳川幕府の「黒衣の宰相」天海大僧正が住職をつとめた寺として有名です。
五百羅漢は川越北田島の志誠(しじょう)の発願により天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたもの。
以下に、主要按摩書やその他関連書籍発刊年をメモ。
- 1712年:和漢三才図会
- 1713年:導引口訣鈔
- 1801年:按摩手引
- 1827年:按腹図解
- 1830年:嬉遊笑覧
五百羅漢の製作がはじまった1782年は、臨床的な軽擦法的手技中心の按摩書「導引口訣鈔」が発刊(1713年)されてから70年後のこと。
もうかなり経ってからですね。
五百羅漢製作開始5年後の1787年に発刊された「狂詩諺解」に
按摩の笛を吹くは近ごろの事なり
と記されていますから(嬉遊笑覧より)、ちょうど按摩笛で流す按摩さんが登場しはじめたあたりのことでしょうか。
按摩の入門書「按摩手引」がちょうど五百羅漢製作年代中の1801年発刊。
按摩の手技も「導引口訣鈔」の軽擦法中心の手技から「按摩手引」に見られる揉捏法や曲手が当たり前のように行われている時期でしょうね、きっと。
五百羅漢完成2年後の1827年に発刊された「按腹図解」の著者太田晋斉さんは、こうした曲芸じみた曲手や慰安目的の流し按摩に憤って次のように書いています。
この世に此の技を業とする人は、多くは盲人、未亡人、或いはあぶれ人、貧しき者、医を学ぶ輩(ともがら)、此の技を以て世渡りの手段とするに過ぎず、是れによって此の術をなすことを甚だしく卑しんだ。
このように、見識ある人は此の術をして恥じ、かつ疎ましく思うようになった。
ちなみにこの太田晋斉さん、ぼくたちが目にすることができる日本最古の按摩書だと思われる「導引口訣鈔」に関しては
其の書粗浅なれども我邦にて此術を書に筆せしは實に此書を以て嚆矢とす。
と評価。
また、「按摩手引」に対しては
其の文甚だ粗漏、只初學の爲に設けしものなり
と、けっこう厳しいです。
五百羅漢完成から28年後でありますが、1853年に発刊された「守貞漫稿」に当時の按摩さんの様子がかなり詳しく記述されています。
按摩
諸国の盲人は業として窮乏している者が多い。
或いは盲目ではなく、或いはお得意の招きに応じて行くだけの者もあり、あるいは路上を笛吹き巡りお客を取る者もある。
確かに三都(京都・江戸・大坂)諸国ともに振り按摩(流しの按摩)は笛を吹くのをめじるしとする。
振(流し)は、お得意付近の路上を行き来しつつ巡り、どの家でも求めがあれば応じ、諸々を売ることもまたこれにならって「振売(ふりうり)」というのと同じだ。
また京阪の振り按摩は夜陰のみ巡り、江戸は昼夜も巡る。
また、江戸では笛を用いず、語りで「按摩、鍼の療治」と呼びながら巡るのもあり、「小児の按摩は、或いは上下揉んで二十四文」などと呼ぶのもある。
江戸では普通、上下揉んで四十八文である。
また、店を開いて客を待ち、市街を巡らず、足力(そくりき)と呼ばれる手足によって揉むものは、上下揉んで百文だ。
京阪には足力按摩はなく、また、京阪では従来より普通上下揉む者は仕事を半とし、これにより「盲人は鍼治を兼ねる」「足力等は灸治を兼ねる」という。
また、別に三都とも「灸すえ所」という所があり、大概は百灸千灸以上を一般とし、代金は二十四文ばかりである。
江戸の人口の2割を占めていた大工の日当が約500文。
お酒一升:248文。
かけそば:16文。
(※参考:「大江戸庶民事情」石川栄輔 著)
単純に、例えば大工の日給を5000円だとして立ち食いそばが160円、お酒一升2480円、通常上下48文の按摩は480円という感じ。
これを、立ち食いそばを現代東京の320円あたりに設定すると、按摩は江戸では丁度3倍なので960円になります。
これはもちろん乱暴な計算で、時代背景や諸々の経済状態がかなり違うので、単純に推定は出来ませんが。
江戸期按摩立体3D石像
・正面
左手を腿、右手は下肢に乗せています。
さすっている軽擦法の場面なのか、それとも母指で下肢後面を揉んでいるところなのか・・・。

・下から手許のアップ
両手は意外としっかりと腿や下肢を把握しているように見えますね。

・上から手許のアップ
上から見ると、両母指がしっかりと腿や下肢後面に当てられている感じです。
母指での揉捏にも見えますが、この手の形で軽擦している可能性も高いですよね。

・横から
下からの手許アップで按摩さんの顔が見えますが、盲人なのかどうかはちょっとわかりません。
この横からの写真で按摩さんの顔の向きを見ると、なんとなく盲人の按摩さんのように思えます。
それにしても無駄な力みがなくて腰に重心が落ちた、見事な佇まい。

・背面から
参考までに。

江戸期の按摩さんが立体で、しかも3Dで前後左右から見ることが出来るのはかなり貴重です。
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