是に因(より)て其道(すじ)に精(くは)しき書(ふみ)も、技に委(くは)しき人も、其名聞(きこ)ゆる野邊の蔓林(かづらはやし)の木葉と世に乏しからづ、誠に此道(このみち)全備(そなはれり)と謂(いふ)べし。
さるを橿實(かしのみ)の獨(ひとり)此(この)導引按蹻(だういんあんきやう)の)の術(わざ)のみ、古衣(ふるごろも)うち捨(すて)て、眞木柱(まきばしら)誰取立(たれとりたつ)る人も無(なか)りしに、葦垣(あしがき)の近き年頃内日指都(うちびさすみやこ)の醫士(くすし)香河氏(かがわうじ)香川氏(かかわうじ)の二人、世に勝(すぐ)れて我醫道(くずしのみち)を石上古(いしのかみふる)きに復(かへ)しかわ、其(その)醫論(あげつらい)の除波(なごり)此術(わざ)に及(およぼ)せり。
故(ゆえ)
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