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「町の按摩さんblog」で「古今導引集」のテキスト化と現代語訳を進めています。http://anma.air-nifty.com/anma/cat834757/index.htmlまだまだ序盤ですが、「古今導引集」を読んでから「導引口訣鈔」を読むと、「導引口訣鈔って何て読みやすいんでしょ」と思います。(^^;著者が大久保道古で弟子の宮脇仲策が校訂を務めた「古今導引集」が出た5年後に、今度は宮脇仲策さんが「導引口訣鈔」を出しているわけですが。その「導引口訣鈔」の序で以下のように書いています。『古今導引集を撰んで、其の要をあらわす。 …略… 今先師の言を俗字に綴り、些か初学の為にす。』ひょっとして、『やっぱ「古今導引集」って今ひとつ読みづらいしわかりにくいよね。後世の為に書き直した方がよいと思う』みたいな感じで出したのかな、なんて思ってみたり。「古今導引集」序盤をやっていると、そう思うのです。もっと進めるとどうかわからないですけど。
Re: 古今導引集 - puru 2016/10/25(Tue) 16:32 No.52 あら嫌だ。ていうか、「古今導引集」のことをスッカリ忘れてました。(^^ゞ うはは「古今導引集」の漢文で分からない部分を検索していたら、なんとまあ、鬼貫導引に関して詳しく記載している「鬼貫論」という書籍を発見し。「そうだ。これを電子書籍化してAmazonで無料販売しよう」と思い立ち。「鬼貫論」を電子書籍化しつつ、「う〜む。どうせだから按摩の歴史もこれまで調べたことを元に電子書籍化しよか」と思い至り。「鬼貫論」と「按摩の歴史」を同時並行で電子書籍化。この二つを電子書籍化しながら、著作権保護期間が満了した古書(パブリックドメイン)を電子書籍化したくなり。先の二冊に引き続き「内丹家 劉一明の哲学」「陰符經」の二冊も電子書籍復刻版として出版。現在も複数のパブリックドメイン復刻版を制作中だったりする訳ですが・・・。そうです。そもそもの発端である「古今導引集」 の事をスッカリ忘れてました。加齢によるボケですね、これはwww再開することにしましょう。 Re: 古今導引集 - puru 2016/10/25(Tue) 16:53 No.53 ところでこの掲示板、画像もアップ出来そうなんだけど試したことがなかったのでした。というわけで、テスト投稿。
これは、看護師が鍼灸あマ指を医師の監督の下で可能かどうかに関わってきますね。看護師は、医師の監督の下で医業の補助が可能です。「鍼灸あマ指は、医業の一部」なら、看護師は、医師の監督の下で鍼灸あマ指が可能になります(医師の大多数が看護師は鍼灸あマ指が可能と言う論拠)。鍼灸ドットコムのpuruさんの書き込みの時から疑問だったことですが。
こんにちは。puruさんが紹介されている肩のウオーミングアップと呼吸筋のストレッチを雅楽の歌をBGMにやってみたら、よく伸びる!ことを発見しました。あくまで私の心身での話しかもしれませんが、雅楽における声楽は筋肉の伸びやかな動きを後押ししてくれました。何言ってるか歌詞カードがないと全然分からないですが、これはいいやと、一つ楽しみを見つけました。最近日本の伝統芸能に興味を持ち始めまして、やっぱり私も日本人なのね〜なんて言いながら面白かったです。次は交響曲のなかから探してみようと思ってます。
私、新大阪で訪問マッサージの仕事をしております。現在無資格マッサージについて調べており、こちらのページにたどり着き勉強させて頂き、本当に感謝しております。また資料も充実しておりpuru様がいかにたくさん勉強されたかよく判ります。ただ文章を見させていただく中で鍼灸、あんまを医業類似行為の様に書かれていたので、間違った認識が広まらないように訂正して頂ければと思いこちらに書き込みさせて頂きました。もう充分にご存知と思いますが以下、医業類似行為でない事の論拠を述べさせて頂きます。鍼灸、あんまマッサージの位置づけは司法の部分からは医業類似行為ではなく医業の一部とみなすことが出来ると明確に出ています。根拠としては、あはき法、仙台高裁昭和29年判決では明確に鍼灸、あんまマッサージは医業類似行為では無いと主張されていますし、最高裁昭和35年判決、昭和35年2月18日に最高裁から出た厚生省からの問い合わせの回答(医道の日本昭和35年3月号、東京新聞2月19日で読める様です)でも医業類似行為ではないと述べられています。http://www.jac-chiro.org/research_01.htmlあはき法については普通に国語的に読むと間違えやすいので、昭和23年に発行された「あん摩・はり・きゅう・柔道整復等営業法の解説」を参考にすると良いかと思われます。http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000839283-00第1条医師以外の者で、あん摩、マッサージ若しくは指圧、はり又はきゆうを業としようとする者は、それぞれ、あん摩マッサージ指圧師免許、はり師免許又はきゆう師免許(以下免許という。)を受けなければならない。これは医師でなければ行えない医業うち鍼灸という一分野に限り解除したものです。要するに鍼灸は医業とは言えないが、それでも医業の一分野とみなす事が出来るという事です。第12条 何人も、第1条に掲げるものを除く外、医業類似行為を業としてはならない。ただし、柔道整復を業とする場合については、柔道整復師法(昭和45年法律第19号)の定めるところによる。これは国語的に読めば鍼灸マッサージは医療類似行為だと読んでしまうのですが、第1条であん摩マッサージ指圧、鍼灸は医業であると定義してある事を踏まえて読めば、医療類似行為でない事が分かります。この条文の中で「何人も、第1条に掲げるもの」とあるのは、具体的には「あん摩、マッサージ若しくは指圧、はり又はきゆう業」の事で、あはき師の事ではありません。次に行政の方ですが、昭和35年の最高裁判決を受けて厚生省は次の通知を出しています。昭和35年の医発第247号の1各都道府県知事あて厚生省医務局長通知この判決は、医業類似行為業、すなわち、手技、温熱、電気、光線、刺激等の療術行為について判示したものであって、あん摩、はり、きゅう及び柔道整復の業に関しては判断していない間接的にでは有りますが医療類似行為=療術行為と明示されており、あん摩、はり、きゅう及び柔道整復業はこれらの療術行為とは異なり、消極的な記載では有りますが医療類似行為とはではないと読めます。この後平成3年の医事58号ではあん摩、はり、きゅう及び柔道整復=医療類似行為と明確に記載されています。これには色々理由が有るのですが、こちらの医事58と医発第247号では課長発の医事58号より局長発の医発第247号の方が高位の通達ですので優先され、あん摩、はり、きゅう及び柔道整復≠医療類似行為という事が、現在の行政(厚生労働省)の本来取るべき立場になりますまた茨城県厚指第1886号でも鍼灸マッサージは医業類似行為ではないとの見解を示しています。以上の事は芦野純夫氏の「提言鍼灸師の地位向上のために」他、同氏の論文で詳しく述べられています。
Re: 鍼灸、あん摩は医業類似行為ではありません。 - puru 2014/02/21(Fri) 12:02 No.31 はじめまして、こうすけさん。数々の論拠を挙げてのご指摘ありがとうございます。勉強になりました。>もう充分にご存知と思いますが以下、医業類似行為でない事の論拠を述べさせて頂きます。いえ、ぜんぜん知りませんでした。もともと「医業類似行為」という単語自体にそれほど重きを置いていなかったのです。(^^ゞ>鍼灸、あんまマッサージの位置づけは司法の部分からは医業類似行為ではなく医業の一部とみなすことが出来ると明確に出ています。>これは医師でなければ行えない医業うち鍼灸という一分野に限り解除したものです。>要するに鍼灸は医業とは言えないが、それでも医業の一分野とみなす事が出来るという事です。了解です。医業の中のあはき行為に限局した免許だと考えればスッキリします。>医療類似行為=療術行為と明示されておりこちらもまた了解です。とてもわかりやすいです。しかし法律の文章というのは悩ましいですね。>第12条 何人も、第1条に掲げるものを除く外、医業類似行為を業としてはならない。ただし、柔道整復を業とする場合については、柔道整復師法(昭和45年法律第19号)の定めるところによる。この12条など、素人目で見るとわざわざ「何人も、第1条に掲げるものを除く外」や「ただし、柔道整復を業とする場合〜」を入れずとも、「何人も、医業類似行為を業としてはならない。」とシンプルにサクっと「療術業の禁止」で済ませてくれれば誤解する余地もないだろうに、と思ってしまいます。わざわざこれらの文言を入れるということは、何か理由があるのでしょうか。ともあれ、大変参考になりました。本当にありがとうございました。 Re: 鍼灸、あん摩は医業類似行為ではありません。 - こうすけ 2014/02/21(Fri) 22:53 No.32 puru様さっそくのお返事ありがとうございます。12条の件ですが、法律家の悪文といわれる様にわざとかと思えるほど非常に誤解しやすい文章となっています。ですが法律用語では類似行為=違法行為であり、全て許されないものを指すとの予備知識が有れば割に誤解は少なくなるのではと思います。というかこの事をみんなわかっている事を前提に書かれている様な気がします。医業類似行為=違法な医療行為と読み替えれば多少はスッキリするかもしれません。(それでも12条単体で読めば確実に誤解してしまいますが…)ともあれ、鍼灸、あんまマッサージ=医業類似行為(あるいは医療類似行為)といった誤った認識は鍼灸は医療でなく慰安や民間療法であると、自らを貶める事になりかねません。また鍼灸、マッサージ師を目指す若者をの志操を低くし、慰安であると卑屈に堕しめる事になるのではと危惧しています。腕さえあれば、医業類似行為かどうかなんか関係ないと言われる人も居られるかもしれませんが、後進の為にも鍼灸マッサージは、れっきとした医業の一部であり、決して慰安ではないとの矜持を持って励んで頂きたいと願っています。言葉一つに少し大げさかもしれませんが、鍼灸、あんまマッサージは医業類似行為でなく、医業の一部であるとの認識が広まる事で、鍼灸師、あんまマッサージ師の個々のレベルアップや無資格マッサージ問題の解決につながるのではと思っています。鍼灸師、マッサージ師の中に医業類似行為と言われた時、またそのように書かれている文章を目にした時に即座に否定出来る人が一人でも多く増えて行く事で、この認識は変わっていくと信じています。失礼とは思いますが、どうしても我慢が出来ずつい書き込んでしまいました。無資格マッサージを含め、色々勉強中では有りますが、今後ともこちらのページにて勉強させて頂ければと思っています。 Re: 鍼灸、あん摩は医業類似行為ではありません。 - puru 2014/02/22(Sat) 18:26 No.33 こんにちは、こうすけさん。>12条の件ですが、法律家の悪文といわれる様にわざとかと思えるほど非常に誤解しやすい文章となっています。ホントに。(^^;>類似行為=違法行為なるほどです。指摘されてみると、これほど当たり前のこともありませんね。いや、ホント勉強になります。m( _ _ )m>無資格マッサージを含め、色々勉強中では有りますが、今後ともこちらのページにて勉強させて頂ければと思っています。いえ、こちらこそよろしくお願いいたします。何かあれば、また是非ともご指摘ください。
こんにちは本日改めまして、「武術書に見る病を去ること」を読み直しました。なるほどなるほどの内容なのですが、実践は難しいと感じます。何事も一心に思うも病なり・・・・一心で居すぎたかな〜と思う部分と、根性無しで情けないと思ってしまう部分と、子どもの頃から教育上で刷り込まれたことが相まって、心の中がグチャグチャ状態←汚い表現で失礼します。今は冬、早く寝たいのですが、凄く寝つきが悪くて布団の中で覚醒状態で長く居ると疲れてしまうので日付が変わるころまで起きていてしまってます。できるだけ照明は弱くしてますが、何でも日本の頭上からの照明は覚醒を促してしまうのだとか・・・?たまに早く眠れると深夜に目覚めて夜が明けるとなり、朝日とともに眠くなるということも・・・。中学生のころから不眠傾向にあり、老父の昼夜の区別の無い介護以来(この頃はいつ日付が変わったのかも気付かない、今日と昨日の区別がなかった状態です)体内時計が狂いっぱなしで戻らない感じです。お天道様が燦燦と輝いてても眠くなったり、丑三つ時にパッチリ冴えてたり(苦笑)してます。年齢的には今は「秋」ですよね?まだ「冬」ではない気がしますので、陽気を蓄えて漏らさない準備をせねばなりませんね。それがpuruさんの言われた「止まる事」から始まるのでしょうか。自分の体が柔らかくなって、魂がポワ〜ンと大きく広がっていくイメージをしてみるのですが雑念が邪魔してくれます。それも焦らず上手になれる練習してみます。これからも御教授宜しくお願いいたします。
Re: 無題 - puru 2014/02/18(Tue) 17:24 No.28 こんにちは〜^^>本日改めまして、「武術書に見る病を去ること」を読み直しました。>なるほどなるほどの内容なのですが、実践は難しいと感じます。はい、「実践は難しいと感じ」ると思います。(^^;だって、現にほとんどの人が病と戦って葛藤しているんですもん。でも、もし心の中に仄かにでも「なるほどなるほど」という得心のいくものがあるとしたら。「病気の内に交わりて居る」ことに憧れることはできると思います。「病気の内に交わりて居る」に憧れて、目指して、試してみること。「なるほどなるほど」という、今はまだ根拠はないけれど、なんだか妙に腑に落ちるアイデア。それに憧れて、少しずつ少しずつ試してみる。そうしていると、「なるほどなるほど」が少しずつ育っていって、確信に変わるはずです。>何事も一心に思うも病なり・・・・一心で居すぎたかな〜と思う部分と、>根性無しで情けないと思ってしまう部分と、子どもの頃から教育上で刷り>込まれたことが相まって、心の中がグチャグチャ状態うん。頭はいろんなことを考えるのが仕事だし。自己評価が得意。なので、思考とか考えは好きなようにさせておいてよいです。というか、思考で思考は抑え込めないし。(^^;更なる葛藤を増殖させるだけ。「病気の内に交わりて居る」というのは、考えることではなくて感じることだと思います。痛みや不快感、内臓感覚などの体性感覚を感じ味わうこと。考えと感覚はまったく次元の異なる現象であり。感覚にフォーカスを与えると、考えからフォーカスが外れて考えが消えます。逆に考えにフォーカスが集まっていると、感覚への意識が消えます。なので、「病気の内に交わりて居る」試みは、極力痛みや不快感、内臓感覚などの体性感覚を感じ味わうことにフォーカスを当てる試みになります。まあ、これも「慣れ」の問題です。ぼくたちはあまりにも「考え」にどっぷりなので。少しずつ試して、感じることに慣れていく必要があります。>それがpuruさんの言われた「止まる事」から始まるのでしょうか。うん。考えは常に先に進みたがります。正しい方法は何か、間違っていないかどうか評価して焦ったり・・・。そうやって「考え」にどっぷり浸かっていることに気づいたら。葛藤したり力んでいることに気づいたら。まずは「ふぅ〜」とひと息ついて立ち止まり。身体のいろいろなな感覚や、気分や感情の元になる内臓感覚などにフォーカスを当ててみるとよいです。そうやって徐々に慣れるのが肝要かと。ローマは一日にしてならずぢゃ。(^^) Re: 無題 - 玉兎 2014/02/18(Tue) 22:22 No.29 ありがとうございました。丁寧な解説をしていただいて大変助かります。思考は放って置きます。もう戦うのはウンザリごめんなのです。生まれたときから病と一緒なので、闘いの一生みたくなっちゃいますもの。戦わなきゃ負けも無いし(笑)。慣れます慣れます。
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