按摩さんのいる風景(2) - 本の中の按摩さん - :按摩の歴史・古典:タイトル:町の按摩さん.com

按摩さんのいる風景(3) - 本の中の按摩さん -

  1. ・小説その他書籍の中に登場する按摩さん ・「大島行」林芙美子
  2. ・「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」三遊亭圓朝 鈴木行三校訂編纂
  3. ・「歌行燈」泉鏡花
  4. ・「吾輩は猫である」夏目漱石
  5. ・「「詩集(1)初期詩篇」小熊秀雄
  6. ・「東京に暮らす 1928-1936」キャサリン・サンソム/著 大久保美春/訳
  7. ・「東京人の堕落時代」杉山萠圓(夢野久作)
  8. ・信仰餘賦「小星」葛巻星淵


泉鏡花の小説には、本当に按摩さんがよく登場します。
中でも一番好きなのがこの「歌行燈」。
幻想的な情景描写と文章のリズムが好きです。
十一段はじめ。
「「飛んだ事をおっしゃりませ、田舎でも、これでも、長年年期を入れました杉山流のものでござります。鳩尾(きゅうび)に鍼(はり)をお打たせになりましても、決して間違いのあるようなものではござりませぬ。」と呆あきれたように、按摩の剥むく目は蒼(あお)かりけり。」
按摩の流派では、盲人の杉山(和一)流、晴眼者の吉田(久庵)流が有名です。
ぼくは吉田流を伝える数少ない鍼灸学校卒ですが、吉田流特有の”線状揉み”が嫌いです。(^^; いいのか、そんなこと言って
十段の最後あたりの按摩さんのセリフ。
「「ええ、その気で、念入りに一ツ、掴(つかま)りましょうで。」と我が手を握って、拉ひしぐように、ぐいと揉もんだ。」
この「掴まる」という表現ですが、別の小説でも見たことがあります。
江戸当時、揉むことを掴まるとも表現していたのでしょうね。


「歌行燈」泉鏡花


       一

 宮重(みやしげ)大根のふとしく立てし宮柱は、ふろふきの熱田の神のみそなわす、七里のわたし(なみ)ゆたかにして、来往の渡船難なく桑名につきたる(よろこ)びのあまり……
 と口誦(くちずさ)むように独言(ひとりごと)の、膝栗毛(ひざくりげ)五編の上の読初め、霜月十日あまりの初夜。中空(なかぞら)冴切(さえき)って、星が水垢離(みずごり)取りそうな月明(つきあかり)に、踏切の桟橋を渡る影高く、(ともしび)ちらちらと目の下に、遠近(おちこち)樹立(こだち)の骨ばかりなのを(なが)めながら、桑名の停車場(ステエション)へ下りた旅客がある。
 月の影には相応(ふさわ)しい、真黒(まっくろ)外套(がいとう)の、()せた身体(からだ)にちと広過ぎるを緩く着て、焦茶色の中折帽、真新しいはさて()いが、()れない天窓(あたま)に山を立てて、(つば)をしっくりと耳へ(かぶ)さるばかり深く()めた、あまつさえ、風に取られまいための留紐(とめひも)を、ぶらりと(しな)びた頬へ下げた工合(ぐあい)が、時世(ときよ)なれば、道中、笠も()せられず、と断念(あきら)めた風に見える。年配六十二三の、気ばかり若い&ruby(やじろべえ)弥次郎兵衛};{。
 さまで重荷ではないそうで、唐草模様の天鵝絨(びろうど)革鞄(かばん)に信玄袋を引搦(ひきから)めて、こいつを片手。片手に蝙蝠傘(こうもりがさ)()きながら、
「さて……悦びのあまり名物の焼蛤(やきはまぐり)に酒()みかわして、……と本文(ほんもん)にある(ところ)さ、旅籠屋(はたごや)(ちゃく)の前に、停車場前の茶店か何かで、一本傾けて参ろうかな。(どうだ、喜多八(きだはち)。)と行きたいが、其許(そのもと)は年上で、ちとそりが合わぬ。だがね、家元の弥次郎兵衛どの事も、伊勢路では、これ、同伴(つれ)の喜多八にはぐれて、一人旅のとぼとぼと、棚からぶら下った宿屋を尋ねあぐんで、泣きそうになったとあるです。ところで其許は、道中松並木で出来た道づれの格だ。その道づれと、()んと一口()ろうではないか、ええ、捻平(ねじべい)さん。」
「また、言うわ。」
 と苦い顔を渋くした、同伴(つれ)の老人は、まだ、その上を四つ五つで、やがて七十(ななそじ)なるべし。臘虎(らっこ)皮の(つば)なし古帽子を、白い眉尖(まゆさき)深々と(かぶ)って、鼠の羅紗(らしゃ)道行(みちゆき)着た、股引(ももひき)を太く白足袋の雪駄穿(せったばき)色褪()せた鬱金(うこん)の風呂敷、真中(まんなか)を紐で(ゆわ)えた包を、西行背負(さいぎょうじょい)に胸で結んで、これも信玄袋を手に一つ。片手に(つえ)()いたけれども、足腰はしゃんとした、人柄の()いお爺様(じいさま)
「その捻平は()しにさっしゃい、人聞きが悪うてならん。道づれは()けれども、道中松並木で出来たと言うで、何とやら、その、(わし)護摩(ごま)の灰ででもあるように聞えるじゃ。」と杖を一つとんと支くと、(あと)(がん)(さき)になって、改札口を早々(さっさ)と出る。
 わざと一足(うしろ)へ開いて、隠居が意見に急ぐような、(つれ)の後姿をじろりと見ながら、
「それ、そこがそれ捻平さね。松並木で出来たと云って、何もごまのはいには限るまい。もっとも若い内は遣ったかも知れんてな。ははは、」
 人も無げに笑う手から、引手繰(ひったく)るように切符を取られて、はっと駅夫の顔を見て、きょとんと生真面目(きまじめ)
 成程、この小父者(おじご)が改札口を出た殿(しんがり)で、何をふらふら道草したか、汽車はもう遠くの方で、名物焼蛤の白い煙を、夢のように月下に吐いて、真蒼(まっさお)な野路を光って通る。……
「やがてここを立出(たちい)辿(たど)()くほどに、旅人の唄うを聞けば、」
 と小父者、出た処で、けろりとしてまた口誦(くちずさ)んで、
「捻平さん、()い文句だ、これさ。……
時雨蛤(しぐれはまぐり)みやげにさんせ
   (みや)のおかめが、……ヤレコリャ、よオしよし。」
旦那(だんな)、お供はどうで、」
 と停車場(ステエション)前の夜の(くま)に、四五台朦朧(もうろう)と寂しく並んだ車の中から、車夫が一人、腕組みをして、のっそり出る。
 これを聞くと弥次郎兵衛、口を()じて片頬笑(かたほえ)み、
有難(ありがて)え、図星という処へ出て来たぜ。が、同じ事を、これ、(旦那衆戻り馬乗らんせんか、)となぜ言わぬ。」
「へい、」と言ったが、車夫は変哲もない&ruby(がんしょく){顔色};で、そのまま棒立。

       二

 小父者(おじご)は外套の袖をふらふらと、酔ったような風附(ふうつき)で、
()れよ、さあ、(戻馬乗らんせんか、)と、後生(ごしょう)だから一つ気取ってくれ。」
「へい、(戻馬乗らせんか、)と言うでございますかね、戻馬乗らんせんか。」
 と早口で車夫は実体(じってい)
「はははは、法性寺入道前(ほうしょうじのにゅうどうさき)関白(かんぱく)太政大臣(だじょうだいじん)と言ったら腹を立ちやった、法性寺入道前の関白太政大臣様と来ている。」とまたアハハと笑う。
「さあ、もし召して下さい。」
 と話は(きま)った(はず)にして、委細構わず、車夫は取着(とッつ)いて梶棒(かじぼう)を差向ける。
 小父者、目を据えてわざと見て、
「ヤレコリャ車なんぞ、よオしよし。」
「いや、よしではない。」
 とそこに一人つくねんと、添竹(そえだけ)に、その枯菊(かれぎく)(すが)った、霜の(おきな)は、旅のあわれを、月空に知った姿で、
「早く車を雇わっしゃれ。手荷物はあり、勝手知れぬ町の中を、何を(あて)にぶらつこうで。」と口叱言(くちこごと)で半ば(つぶや)く。
「いや、まず一つ、(よヲしよし、){と切出さんと、本文に合わぬてさ。処へ喜多八が口を出して、(しょうろく四銭(しもん)で乗るべいか。){馬士(うまかた)が、(そんなら、ようせよせ。){と言いやす、馬がヒインヒインと(いば)う。」
「若いもの、その人に構うまい。車を早く。川口の湊屋(みなとや)と言う旅籠屋(はたごや)()くのじゃ。」
「ええ、二台でござりますね。」
「何んでも構わぬ、(わし)は急ぐに……」と後向(うしろむ)きに(つか)まって、乗った雪駄を爪立(つまだ)てながら、蹴込(けこ)みへ入れた革鞄を(また)ぎ、首に掛けた風呂敷包みを外ずしもしないで(ゆす)っておく。
「一蓮託生(いちれんたくしょう)、死なば諸共、捻平待ちやれ。」と、くすくす笑って、小父者も車にしゃんと乗る。……
「湊屋だえ、」
「おいよ。」
 で、二台、月に提灯(かんばん)(あかり)黄色に、広場(ひろっぱ)の端へ駈込(かけこ)むと……石高路(いしたかみち)をがたがたしながら、板塀の小路、土塀の辻、径路(ちかみち)を縫うと見えて、寂しい処幾曲り。やがて二階屋が建続き、町幅が糸のよう、月の光を(ひさし)(おお)うて、両側の暗い軒に、掛行燈(かけあんどん)(まばら)に白く、枯柳に星が乱れて、壁の(あお)いのが処々。長い通りの突当りには、火の見の階子(はしご)が、遠山(とおやま)の霧を破って、半鐘(はんしょう)の形()けるがごとし。……火の用心さっさりやしょう、金棒(かなぼう)の音に夜更けの景色。霜枯時の事ながら、月は格子にあるものを、桑名の()達は宵寝と見える、寂しい新地(くるわ)差掛(さしかか)った。
 (やぼね)の下に流るる道は、細き水銀の川のごとく、柱の黒い家の(さま)、あたかも(かわうそ)祭礼(まつり)をして、白張(しらはり)地口行燈(じぐちあんどん)を掛連ねた、鉄橋を渡るようである。
 爺様の乗った前の車が、はたと(とま)った。
 あれ聞け……寂寞(ひっそり)とした一条廓(ひとすじくるわ)の、棟瓦(むねがわら)にも響き転げる、(わだち)の音も留まるばかり、(なだ)の浪を川に寄せて、千里の(はて)も同じ水に、筑前の沖の月影を、白銀(しろがね)の糸で手繰ったように、星に(きら)めく唄の声。
博多帯(はかたおび)しめ、筑前絞(ちくぜんしぼり)
 田舎の人とは思われぬ、
歩行(ある)く姿が、柳町、
 と博多節を流している。……つい目の(さき)の軒陰に。……白地の手拭(てぬぐい)頬被(ほおかむり)、すらりと(やせ)ぎすな男の姿の、軒のその、うどんと(べに)で書いた看板の前に、横顔ながら俯向(うつむ)いて、ただ影法師のように(たたず)むのがあった。
 捻平はフト車の上から、(うなじ)の風呂敷包のまま振向いて、何か背後(うしろ)へ声を掛けた。……と同時に弥次郎兵衛の車も、ちょうどその唄う声を、町の中で引挟(ひっぱさ)んで、がっきと留まった。が、話の意味は通ぜずに、そのまま捻平のがまた曳出(ひきだ)す……(あと)の車も続いて()け出す。と二台がちょっと()れ摺れになって、すぐ(もと)の通り前後(あとさき)に、流るるような月夜の車。

       三

お月様がちょいと出て松の影、
 アラ、ドッコイショ、
 と沖の浪の月の中へ、(さっ)と、(ばち)を投げたように、霜を切って、唄い()てた。……饂飩屋(うどんや)(かど)に博多節を弾いたのは、転進(てんじん)をやや縦に、三味線(さみせん)の手を緩めると、撥を逆手(さかて)に、その柄で(はじ)くようにして、(ほん)のりと、薄赤い、其屋(そこ)の板障子をすらりと開けた。
「ご免なさいよ。」
 頬被(ほおかむ)りの中の(すず)しい目が、(かま)から吹出す湯気の(うち)へすっきりと、出たのを一目、驚いた顔をしたのは、帳場の端に土間を(また)いで、腰掛けながら、うっかり聞惚(ききと)れていた亭主で、紺の筒袖にめくら(じま)前垂(まえだれ)がけ、草色の股引(ももひき)で、尻からげの(なり)、にょいと立って、
「出ないぜえ。」
 は、ずるいな。……案ずるに我が家の門附(かどづけ)聞徳(ききどく)に、いざ、その段になった処で、(くだん)の(出ないぜ。)を()めてこまそ心積りを、唐突(だしぬけ)に頬被を突込(つッこ)まれて、大分狼狽(うろた)えたものらしい。もっとも居合わした客はなかった。
 門附は、澄まして、背後(うしろ)じめに戸を()てながら、三味線を(はす)にずっと入って、
「あい、親方は出ずとも()いのさ。私の方で入るのだから。……ねえ、女房(おかみ)さん、そんなものじゃありませんかね。」
 とちと笑声が交って聞えた。
 女房は、これも現下(いま)の博多節に、うっかり気を取られて、釜前の湯気に(もう)として立っていた。……浅葱(あさぎ)(たすき)、白い腕を、部厚な釜の(ふた)にちょっと()せたが、丸髷(まるまげ)をがっくりさした、色の白い、歯を染めた中年増(ちゅうどしま)。この途端に(さっ)(まぶた)を赤うしたが、(へッつい)の前を横ッちょに、かたかたと下駄の音で、亭主の膝を斜交(はすっか)いに、帳場の銭箱(ぜにばこ)へがっちりと手を入れる。
「ああ、御心配には及びません。」
 と門附は物優しく、
串戯(じょうだん)だ、強請(ゆする)んじゃありません。こっちが客だよ、客なんですよ。」
 細長い土間の一方は、薄汚れた縦に六畳ばかりの市松畳、そこへ上れば坐れるのを、釜に近い、床几(しょうぎい)の上に、ト足を伸ばして、
「どうもね、寒くって(たま)らないから、一杯御馳走(ごちそう)になろうと思って。ええ、親方、決してその御迷惑を掛けるもんじゃありません。」
 で、優柔(おとな)しく頬被りを取った顔を、と見ると迷惑どころかい、目鼻立ちのきりりとした、細面(ほそおもて)の、(まぶた)(やつれ)は見えるけれども、目の清らかな、眉の濃い、二十八九の人品(ひとがら)兄哥(あにい)である。
「へへへへ、いや、どうもな、」
 と亭主は前へ出て、揉手(もみで)をしながら、
「しかし、このお天気続きで、まず結構でござりやすよ。」と何もない、(すす)けた天井を仰ぎ仰ぎ、帳場の上の神棚へ目を()らす。
「お師匠さん、」
 女房前垂をちょっと()でて、
「お銚子(ちょうし)でございますかい。」と莞爾(にっこり)する。
 門附は手拭の上へ(ばち)を置いて、腰へ三味線を小取廻(ことりまわ)し、内端(うちわ)に片膝を上げながら、床几の上に素足の胡坐(あぐら)
 ト(すそ)を一つ掻込(かいこ)んで、
「早速一合、酒は良いのを。」
「ええ、もう飛切りのをおつけ申しますよ。」と女房は土間を横歩行(よこある)き。左側の畳に据えた火鉢の中を、邪険に火箸(ひばし)()(ほじ)って、(かっ)と赤くなった処を、床几の門附へずいと寄せ、
「さあ、まあ、お当りなさりまし。」
難有(ありがて)え、」
 と鉄拐(てっか)(つま)引挟(ひッぱさ)んで、ほうと呼吸(いき)を一つ長く()いた。
「世の中にゃ、こんな炭火があると思うと、里心が付いてなお寒い。(たま)らねえ。女房(おかみ)さん、銚子をどうかね、ヤケという熱燗(あつかん)にしておくんなさい。ちっと飲んで、うんと酔おうという、卑劣な癖が付いてるんだ、お察しものですぜ、ええ、親方。」
「へへへ、お(かた)、それ極熱(ごくあつ)じゃ。」
 女房は染めた前歯を美しく、
「あいあい。」

       四

「時に何かね、今此家(ここ)の前を車が二台、旅の人を乗せて駈抜(かけぬ)けたっけ、この町を、……」
 と干した猪口(ちょく)(かど)を指して、
「二三町行った処で、左側の、屋根の大きそうな家へ着けたのが、(あお)く月明りに見えたがね、……あすこは何かい、旅籠屋(はたごや)ですか。」
湊屋(みなとや)でございまさ、なあ、」と女房が、釜の前から亭主を見向く。
「湊屋、湊屋、湊屋。この土地じゃ、まああすこ一軒でござりますよ。古い家じゃが名代(なだい)で。(せん)には大きな女郎屋じゃったのが、旅籠屋になったがな、部屋々々も昔風そのままな(うち)じゃに、奥座敷の欄干(てすり)の外が、海と一所の、(いか)揖斐(いび)川口(かわぐち)じゃ。白帆の船も通りますわ。(すずき)()ねる、(ぼら)は飛ぶ。とんと類のない(おもむき)のある家じゃ。ところが、時々崖裏の石垣から、(かわうそ)這込(はいこ)んで、板廊下や(かわや)()いた(あかり)を消して、悪戯(いたずら)をするげに言います。が、別に可恐(おそろし)い化方はしませぬで。こんな月の良い晩には、庭で鉢叩(はちたた)きをして見せる。……時雨(しぐ)れた夜さりは、天保銭(てんぽうせん)一つ使賃で、豆腐を買いに()くと言う。それも旅の衆の愛嬌(あいきょう)じゃ言うて、(えら)い評判の()い旅籠屋ですがな、……お前様、この土地はまだ何も知りなさらんかい。」
「あい、昨夜(ゆうべ)初めてこっちへ流込んで来たばかりさ。一向方角も何も分らない。月夜も(やみ)の烏さね。」
 と俯向(うつむ)いて、一口。
「どれ延びない内、底を一つ温めよう、()ったり! ほっ、」
 と言って、目を(こす)って(おもて)を背けた。
「利く、利く。……恐しい利く唐辛子だ。こう、親方の前だがね、ついこないだもこの手を食ったよ、料簡(りょうけん)が悪いのさ。何、上方筋の唐辛子だ、鬼灯(ほおづき)の皮が精々だろう。利くものか、と高を(くく)って、お(あし)は要らない薬味なり、どしこと丼へぶちまけて、松坂で飛上った。……また遣ったさ、色気は無えね、涙と(よだれ)一時(いっとき)だ。」と手の甲で引擦(ひっこす)る。
 女房が銚子のかわり目を、ト(てのひら)(かん)を当った。
「お師匠さん、あんたは東の(かた)ですなあ。」
「そうさ、(うまれ)は東だが、身上(しんしょう)は北山さね。」と言う時、徳利の底を振って、垂々(たらたら)猪口(ちょく)へしたむ。
「で、お前様、湊屋へ泊んなさろうと言うのかな。」
 それだ、と門口で断らりょう、と亭主はその段含ませたそうな気の()顔色(かおつき)
御串戯(ごじょうだん)もんですぜ、泊りは木賃(きちん)(きま)っていまさ。茣蓙(ござ)(かさ)草鞋(わらじ)が留守居。壁の破れた処から、鼠が首を長くして、私の帰るのを待っている。四五日はこの桑名へ御厄介になろうと思う。……上旅籠(じょうはたご)の湊屋で泊めてくれそうな御人品なら、御当家へ、一夜の御無心申したいね、どんなもんです、女房(おかみ)さん。」
「こんなでよくば、泊めますわ。」
 と身軽に銚子を運んで寄る。と亭主驚いた眉を動かし、
「滅相な。」と帳場を背負(しょ)って、立塞(たちふさ)がる(てい)に腰を掛けた。いや、この時まで、紺の鯉口(こいぐち)に手首を(すく)めて、案山子(かかし)のごとく立ったりける。
「はははは、お言葉には及びません、饂飩屋さんで泊めるものは、醤油(おしたじ)の雨宿りか、鰹節(かつおぶし)の行者だろう。」
 と呵々(からから)と一人で笑った。
「お師匠さん、一つお酌さしておくんなさいまし。」と女房は市松の畳の端から、薄く腰を掛込んで、土間を切って、差向いに銚子を取った。
「飛んでもない事、お忙しいに。」
「いえな、内じゃ芸妓屋(げいこや)さんへ出前ばかりが(おも)ですから、ごらんの通りゆっくりじゃえな。ほんにお師匠さん()いお声ですな。なあ、良人(あんた)。」と、横顔で亭主を流眄(ながしめ)
「さよじゃ。」
 とばかりで、煙草(たばこ)を、ぱっぱっ。
「なあ、今お聞かせやした、あの博多節を聞いたればな、……私ゃ、ほんに、身に染みて、ぶるぶると震えました。」

       五

「そう()められちゃお座が()める、酔も醒めそうで遣瀬(やるせ)がない。たかが大道芸人さ。」
 と兄哥(あにい)は照れた風で腕組みした。
「私がお世辞を言うものですかな、真実(まったく)ですえ。あの、その、なあ、悚然(ぞっ)とするような、恍惚(うっとり)するような、()めたような、投げたような、緩めたような、まあ、()んと言うて()かろうやら。海の中に柳があったら、お月様の影の中へ、身を投げて死にたいような、……何んとも言いようのない心持になったのですえ。」
 と、脊筋を(くね)って、肩を入れる。
「お(かた)、お方。」
 と急込(せきこ)んで、訳もない事に不機嫌な御亭(ごてい)が呼ばわる。
「何じゃいし。」と振向くと、……亭主いつの間にか、神棚の(もと)に、(しゃ)と構えて、帳面を引繰(ひっく)って、苦く(にら)み、
升屋(ますや)(かけ)はまだ寄越さんかい。」
 と算盤(そろばん)を、ぱちりぱちり。
「今時どうしたえ、三十日(みそか)でもありもせんに。……お師匠さん。」
「師匠じゃないわ、升屋が懸じゃい。」
「そないに急に気になるなら、良人(あんた)、ちゃと行って取って()い。」
 と下唇の刎調子(はねぢょうし)。亭主ぎゃふんと参った(てい)で、
「二進が一進、二進が一進、二一(にいち)天作の()五一三六七八九(ぐいちさぶろくななやあここの)。」と、饂飩の帳の伸縮(のびちぢ)みは、加減(さしひき)だけで済むものを、醤油(したじ)に水を割算段。
 と釜の湯気の白けた処へ、星の()てそうな按摩(あんま)の笛。月天心(つきてんしん)の冬の町に、あたかもこれ(こがらし)を吹込む声す。
 門附の兄哥(あにい)は、ふと()せた肩を抱いて、
「ああ、霜に響く。」……と言った声が、物語を読むように、(ほがらか)()えて、且つ、鋭く聞えた。
「按摩が通る……女房(おかみ)さん、」
「ええ、笛を吹いてですな。」
「畜生、()しからず身に染みる、ruby(たま){堪};&らなく寒いものだ。」
 と割膝に跪坐(かしこま)って、飲みさしの茶の冷えたのを、茶碗に傾け、ざぶりと土間へ、
「一ツこいつへ()いでおくんな、その方がお前さんも手数が要らない。」
「何んの、私はちっとも構うことないのですえ。」
「いや、御深切は難有(ありがた)いが、薬罐(やかん)の底へ消炭(けしずみ)で、()くあとから()める処へ、氷で咽喉(のど)(えぐ)られそうな、あのピイピイを聞かされちゃ、身体(からだ)にひびっ(たけ)がはいりそうだ。……持って来な。」
 と手を振るばかりに、一息にぐっと(あお)った。
「あれ、お見事。」
 と目を&ruby(みは){女?;って、
「まあな、だけれどな、無理酒おしいなえ。沢山(たんと)、あの、心配する方があるのですやろ。」
「お方、八百屋の勘定は。」
 と亭主(まばた)きして(あご)を出す。女房は面白半分、見返りもしないで、
「取りに来たらお払いやすな。」
「ええ……と三百は三銭かい。」
 で、算盤を空に弾};&ruby(はじ){く。
女房(おかみ)さん。」
 と呼んだ門附の声が沈んだ。
「何んです。」
「立続けにもう一つ。そして(あと)を直ぐ、合点(がってん)かね。」
「あい。合点でございますが、あんた、(えら)大酒(たいしゅ)ですな。」
「せめて酒でも参らずば。」
 と陽気な声を出しかけたが、つと仰向(あおむ)いて(まなじり)を上げた。
「あれ、また来たぜ、按摩の笛が、北の方の辻から聞える。……ヤ、そんなにまだ夜は更けまいのに、屋根(ごし)の町一つ、こう……田圃(たんぼ)(あぜ)かとも思う処でも吹いていら。」
 と身忙(みぜわ)しそうに片膝立てて、当所(あてど)なく&ruby(みまわ){女?;しながら、
(おと)は同じだが()が違う……女房(おかみ)さん、どれが、どんな(つら)の按摩だね。」
 と聞く。……その時、白眼(しろまなこ)の座頭の首が、月に(あお)ざめて(のぞ)きそうに、屋の棟を高く見た……目が鋭い。
「あれ、あんた、鹿の雌雄(めすおす)ではあるまいし、笛の音で按摩の容子(ようす)は分りませぬもの。」
「まったくだ。」
 と寂しく笑った、なみなみ()いだる茶碗の酒を、(きっ)と見ながら、
「杯の月を()もうよ、座頭殿。」と差俯(さしうつむ)いて独言(ひとりごと)した。……が博多節の文句か、知らず、陰々として物寂しい、表の障子も裏透くばかり、霜の月の影冴えて、辻に、町に、按摩の笛、そのあるものは波に響く。

       六

「や、按摩どのか。何んだ、唐突(だしぬけ)に驚かせる。……要らんよ。要りませぬ。」
 と弥次郎兵衛。湊屋の奥座敷、これが上段の間とも見える、次に六畳の附いた中古(ちゅうぶる)の十畳。障子の背後(うしろ)は直ぐに縁、欄干(てすり)にずらりと硝子戸(がらすど)の外は、水煙渺(みずけむりびょう)として、曇らぬ空に雲かと見る、長洲(ながす)の端に星一つ、水に近く()らめいた、揖斐川の流れの(すそ)は、(うしお)()めた霧白く、月にも(とま)を伏せ、(みの)()す、繋船(かかりぶね)の帆柱がすくすくと垣根に近い。そこに燭台を(かたわら)にして、火桶(ひおけ)に手を懸け、怪訝(けげん)な顔して、
「はて、お早いお着きお草臥(くたび)れ様で、と茶を一ツ持って出て、年増(としま)の女中が、唯今(ただいま)引込(ひっこ)んだばかりの処。これから膳にもしよう、酒にもしようと思うちょっとの隙間へ、のそりと出した、あの(つら)はえ?……
 この方、あの年増めを見送って、入交(いりかわ)って来るは若いのか、と前髪の正面でも見ようと思えば、霜げた冬瓜(とうがん)草鞋(わらじ)打着(ぶちつ)けた、という異体な(つら)を、(ふすま)の影から(はす)に出して、
(按摩でやす。)とまた、悪く抜衣紋(ぬきえもん)で、胸を折って、横坐りに、蝋燭火(ろうそくび)紙火屋(かみぼや)のかかった(あかり)の向うへ、ぬいと半身で出た工合が、見越入道(みこしにゅうどう)御館(おやかた)へ、目見得(めみえ)の雪女郎を連れて出た、(ばけ)の慶庵と言う(てい)だ。
 要らぬと言えば、黙然(だんまり)で、腰から(さき)へ、板廊下の暗い方へ、スーと消えたり……怨敵(おんてき)退散(たいさん)。」
 と苦笑いして、……床の正面に火桶を抱えた、法然天窓(ほうねんあたま)の、(つれ)の、その爺様を見遣って、
「捻平さん、お互に年は取りたくないてね。ちと三絃(ぺんぺん)でも、とあるべき処を、お膳の前に按摩が出ますよ。……見くびったものではないか。」
「とかく、その年効(としが)いもなく、旅籠屋の式台口から、何んと、事も慇懃(いんぎん)に出迎えた、(うち)の隠居らしい切髪の婆様(ばあさま)をじろりと見て、
(ヤヤ、難有(ありがた)い、仏壇の中に美婦(たぼ)が見えるわ、()の子の天井から落ち()い。)などと、膝栗毛の書抜きを遣らっしゃるで魔が()すのじゃ、屋台は古いわ、造りも広大。」
 と丸木の床柱を下から見上げた。
「千年の桑かの。川の底も(はか)られぬ。(あかり)も暗いわ、(かわうそ)も出ようず。ちと()りさっしゃるが()い。」
「さん(ぞうろう)、これに懲りぬ事なし。」
 と奥歯のあたりを膨らまして微笑(ほほえ)みながら、両手を懐に、胸を拡く、(ふすま)の上なる額を読む。題して(いわ)く、臨風榜可小楼(りんぷうぼうかしょうろう)
「……とある、いかさまな。」
「床に()けたは、白の小菊じゃ、一束(ひとたば)にして(つか)みざし、喝采(おお)。」と()める。
「いや、翁寂(おきなさ)びた事を言うわ。」
「それそれ、たったいま懲りると言うた口の下から、何んじゃ、それは。やあ、見やれ、其許(そこ)の袖口から、茶色の手の、もそもそとした(やつ)が、ぶらりと出たわ、揖斐川の(かわうそ)の。」
「ほい、」
 と(なが)めて、
南無三宝(なむさんぼう)。」と(あわただ)しく引込(ひッこ)める。
「何んじゃそれは。」
「ははははは、拙者うまれつき粗忽(そこつ)にいたして、よくものを落す処から、内の(ばばあ)どのが計略で、手袋を、ソレ、ト左右糸で(つな)いだものさね。袖から胸へ(くぐ)らして、ずいと引張(ひっぱ)って両手へ()めるだ。何んと恐しかろう。捻平さん、かくまで身上(しんしょう)を思うてくれる婆どのに対しても、無駄な祝儀は出せませんな。ああ、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)。」
(たぬき)めが。」
 と背を円くして横を向く。
「それ、年増が来る。秘すべし、秘すべし。」
 で、手袋をたくし込む。
 処へ女中が手を()いて、
「御支度をなさりますか。」
「いや、やっと、今草鞋(わらじ)を解いたばかりだ。泊めてもらうから、支度はしません。」と真面目に言う。
 色は浅黒いが容子(ようす)()い、その年増の女中が、これには妙な顔をして、
「へい、御飯は召あがりますか。」
「まず酒から飲みます。」
「あの、めしあがりますものは?」
「姉さん、ここは約束通り、焼蛤(やきはまぐり)が名物だの。」

       七

「そのな、焼蛤は、今も町はずれの葦簀張(よしずばり)なんぞでいたします。やっぱり松毬(まつかさ)で焼きませぬと美味(おいし)うござりませんで、当家(うち)では蒸したのを差上げます、味淋(みりん)入れて味美(あじよ)う蒸します。」
「ははあ、栄螺(さざえ)壺焼(つぼやき)といった形、大道店で遣りますな。……松並木を向うに見て、松毬のちょろちょろ火、蛤の煙がこの月夜に立とうなら、とんと竜宮の田楽(でんがく)で、乙姫様(おとひめさま)洒落(しゃれ)(あね)さんかぶりを遊ばそうという処、また一段の(おもむき)だろうが、わざとそれがために忍んでも出られまい。……当家(ここ)の味淋蒸、それが()かろう。」
 と小父者(おじご)納得した顔して(うなず)く。
「では、蛤でめしあがりますか。」
「何?」と、わざとらしく[#「わざとらしく」は底本では「わざとしらく」]耳を出す。
「あのな、蛤であがりますか。」
「いや、(はし)で食いやしょう、はははは。」
 と(ひとり)で笑って、懐中から膝栗毛の五編を一冊、ポンと出して、
難有(ありがた)い。」と額を叩く。
 女中も思わず噴飯(ふきだ)して、
「あれ、あなたは弥次郎兵衛様でございますな。」
「その通り。……この度の参宮には、都合あって五二館と云うのへ泊ったが、内宮様(ないぐうさま)へ参る途中、古市(ふるいち)の旅籠屋、藤屋の前を通った時は、前度いかい世話になった気で、薄暗いまで奥深いあの店頭(みせさき)に、真鍮(しんちゅう)獅噛火鉢(しかみひばち)がぴかぴかとあるのを見て、略儀ながら、車の上から、帽子を脱いでお辞儀をして来た。が、町が狭いので、向う側の茶店の新姐(しんぞ)に、この小兀(すこはげ)を見せるのが辛かったよ。」
 と(あかり)に向けて、てらりと光らす。
「ほほ、ほほ。」
「あはは。」
 で捻平も打笑うと、……この機会に誘われたか、――先刻(さっき)二人が着いた頃には、三味線太鼓で、トトン、ジャカジャカじゃじゃじゃんと沸返るばかりだった――ちょうど八ツ橋形に歩行(あゆみ)板が(かか)って、土間を隔てた隣の座敷に、およそ十四五人の同勢で、女交りに騒いだのが、今しがた按摩が影を見せた時分から、大河(おおかわ)(しお)に引かれたらしく、ひとしきり人気勢(ひとけはい)が、遠くへ裾拡がりに(ぼう)退()いて、(しん)とした。ただだだっ広い中を、猿が鳴きながら走廻るように、キャキャとする雛妓(おしゃく)甲走(かんばし)った声が聞えて、重く、ずっしりと、(おっ)かぶさる風に、何を話すともなく多人数(たにんず)の物音のしていたのが、この時、洞穴(ほらあな)から風が抜けたように(どっ)動揺(どよ)めく。
 女中も笑い引きに、すっと立つ。
「いや、この方は陰々としている。」
「その方が無事で可いの。」
 と捻平は火桶の上へ脊くぐまって、そこへ投出した膝栗毛を差覗(さしのぞ)き、
「しかし思いつきじゃ、(わし)はどうもこの寝つきが悪いで、今夜は一つ枕許(まくらもと)行燈(あんどん)で読んでみましょう。」
()しなさい、これを読むと胸が(せま)って、なお目が冴えて寝られなくなります。」
「何を言わっしゃる、当事(あてごと)もない、膝栗毛を見て泣くものがあろうかい。(わし)が事を言わっしゃる、其許(そこ)がよっぽど捻平じゃ。」
 と言う処へ、以前の年増に、小女(こおんな)がついて出て、膳と銚子を揃えて運んだ。
「蛤は()きに出来ます。」
(よし)、可。」
「何よりも酒の事。」
 捻平も、猪口(ちょこ)を急ぐ。
「さて(てめえ)にも一つ遣ろう。(かん)の可い処を一杯遣らっし。」と、弥次郎兵衛、酒飲みの癖で、ちとぶるぶるする手に一杯傾けた猪口(ちょこ)を、膳の外へ、その膝栗毛の本の(わき)へ、畳の上にちゃんと置いて、
「姉さん、一つ()いでやってくれ。」
 と真顔で言う。
 小女が、きょとんとした顔を見ると、捻平に追っかけの酌をしていた年増が見向いて、
喜野(きの)、お酌ぎ……その旦那はな、弥次郎兵衛様じゃで、喜多八さんにお杯を上げなさるんや。」
 と早や心得たものである。

       八

 小父者(おじご)はなぜか調子を沈めて、
「ああ、よく言った。(おれ)を弥次郎兵衛は難有(ありがた)い。居心(いごころ)(よし)、酒は可。これで喜多八さえ一所だったら、膝栗毛を(しょう)のもので、太平の民となる処を、さて、杯をさしたばかりで、こう()いだ酒へ、蝋燭(ろうそく)()のちらちらと映る処は、どうやら餓鬼に手向(たむ)けたようだ。あのまた馬鹿野郎はどうしている――」と膝に手を()き、畳の杯を(じっ)と見て、陰気な顔する。
 捻平も、ふと、この時横を向いて腕組した。
「旦那、その喜多八さんを何んでお連れなさりませんね。」
 と愛嬌造(あいきょうづく)って女中は笑う。弥次郎(さみ)しく打笑み、
「むむ、そりゃ何よ、その本の本文にある通り、伊勢の山田ではぐれた奴さ。いい年をして娑婆気(しゃばっけ)な、酒も飲めば巫山戯(ふざけ)もするが、世の中は道中同然。暖いにつけ、寒いにつけ、(つえ)柱とも思う同伴(つれ)の若いものに別れると、六十の迷児(まいご)になって、もし、この辺に棚からぶら下がったような宿屋はござりませんかと、(にぎや)かな町の中を独りとぼとぼと尋ね飽倦(あぐ)んで、もう落胆(がっかり)しやした、と云ってな、どっかり知らぬ(うち)店頭(みせさき)へ腰を落込(おとしこ)んで、一服無心をした処……あすこを読むと串戯(じょうだん)ではない。……捻平さん、真からもって涙が出ます。」
 と言う、(まぶた)に映って、蝋燭の火がちらちらとする。
「姉や、(しん)を切ったり。」
「はい。」
 と女中が向うを向く時、捻平も目をしばたたいたが、
「ヤ、あの騒ぎわい。」
 と鼻の下を長くして、土間越(ごし)隣室(となり)へ傾き、
(えら)いぞ、金盥(かなだらい)まで持ち出いたわ、人間は皆裾が天井へ宙乗りして、畳を皿小鉢が躍るそうな。おおおお、三味線太鼓が(しのぎ)を削って打合う様子じゃ。」
「もし、お騒がしゅうござりましょう、お気の毒でござります。ちょうど霜月でな、今年度の新兵さんが入営なさりますで、その送別会じゃ言うて、あっちこっち、皆、この景気でござります。でもな、お()ります時分には時間になるで静まりましょう。どうぞ御辛抱なさいまして。」
「いやいや、それには及ばぬ、それには及ばぬ。」
 と小父者、二人の女中の顔へ、等分に手を()って、
「かえって賑かで大きに可い。悪く寂寞(ひっそり)して、また唐突};&ruby(だしぬけ){に按摩に出られては弱るからな。」
「へい、按摩がな。」と何か知らず、女中も読めぬ顔して聞返す。
 捻平この話を、打消すように(しわぶき)して、
「さ、一献(いっこん)参ろう。どうじゃ、こちらへも酌人をちと頼んで、……ええ、それ何んとか言うの。……桑名の殿様時雨(しぐれ)でお茶漬……とか言う、土地の唄でも聞こうではないかの。陽気にな、かっと一つ。旅の恥は掻棄(かきす)てじゃ。(ぬし)はソレ叱言(こごと)のような勧進帳でも遣らっしゃい。
 染めようにも(ひげ)は無いで、(わし)はこれ、手拭でも畳んで法然天窓(ほうねんあたま)()せようでの。」と捻平が坐りながら腰を()して高く居直る。と弥次郎(まなこ)を&ruby(みは){女?;って、
「や、平家以来の謀叛(むほん)其許(そこ)の発議は珍らしい、二方荒神鞍(にほうこうじんくら)なしで、真中(まんなか)へ乗りやしょう。」
 と(おびただ)しく景気を直して、
(あんね)え、何んでも構わん、四五人木遣(きやり)()いて来い。」
 と肩を張って大きに力む。
 女中酌の手を差控えて、銚子を、膝に、と真直(まっすぐ)に立てながら、
「さあ、今あっちの座敷で、もう一人二人言うて、お掛けやしたが、喜野、芸妓(げいこ)さんはあったかな。」
 小女が猪首(いくび)(うなず)き、
「誰も居やはらぬ言うてでやんした。」
「かいな、旦那さん、お気の毒さまでござります。狭い土地に、数のない芸妓やによって、こうして会なんぞ立込(たてこ)みますと、目星(めぼし)()たちは、ちゃっとの間に(みんな)出払います。そうか言うて、東京のお客様に、あんまりな人も見せられはしませずな、容色(きりょう)()いとか、芸がたぎったとかいうのでござりませぬとなあ……」
「いや、こうなっては、宿賃を払わずに、こちとら夜遁(よにげ)をするまでも、三味線を聞かなきゃ納まらない。(めっかち)、いぐちでない以上は、古道具屋からでも呼んでくれ。」
「待ちなさりまし。おお、あの島屋の新妓(しんこ)さんならきっと居るやろ。聞いて見や。喜野、ソレお急ぎじゃ、廊下走って、電話へ(かか)れや。」

       九

「持って来い、さあ、何んだ風車(かざぐるま)。」
 急に(いきおい)()い声を出した、饂飩屋に飲む博多節の兄哥(あにい)は、霜の上の燗酒(かんざけ)で、月あかりに直ぐ()める、色の白いのもそのままであったが、二三杯、呷切(あおっきり)の茶碗酒で、目の(ふち)へ、(さっ)(よい)が出た。
「勝手にピイピイ吹いておれ、でんでん太鼓に(しょう)の笛、こっちあ小児(こども)だ、なあ、阿媽(おっか)。……いや、女房(おかみ)さん、それにしても何かね、御当処は、この桑名と云う所は、按摩の多い所かね。」と笛の音に瞳がちらつく。
「あんたもな、按摩の目は(かき)や云います。名物は(はまぐり)じゃもの、別に何も、多い訳はないけれど、ここは新地(しんち)なり、旅籠屋のある町やに因って、つい、あの(しゅ)が、あちこちから稼ぎに来るわな。」
「そうだ、成程新地(くるわ)だった。」となぜか一人で納得して、気の抜けたような片手を()く。
「お師匠さん、あんた、これからその音声(のど)芸妓屋(げいこや)(かど)で聞かしてお見やす。ほんに、人死(ひとじに)が出来ようも知れぬぜな。」と襟の処で、塗盆をくるりと廻す。
「飛んだ合せかがみだね、人死が出来て(たま)るものか。第一、芸妓屋(げいしゃや)の前へは、うっかり立てねえ。」
「なぜえ。」
「悪くすると(かたき)出会(でっくわ)す。」と投首(なげくび)する。
「あれ、芸が身を助けると言う、……お師匠さん、あんた、芸妓};ゆえの、お身の上かえ。……ほんにな、&ruby(かたき){仇(げいこ)だすな。」
「違った! 芸者の方で、私が敵さ。」
「あれ、のけのけと、あんな憎いこと言いなさんす。」と言う処へ、月は片明りの向う側。狭い町の、ものの気勢(けはい)にも暗い軒下を、からころ、からころ、駒下駄(こまげた)の音が、土間に浸込(しみこ)むように響いて来る。……と直ぐその足許(あしもと)(くぐ)るように、按摩の笛が寂しく聞える。
 門附は(きっ)と見た。
「噂をすれば、芸妓(げいこ)はんが通りまっせ。あんた、見たいなら障子を開けやす……そのかわり、敵打たりょうと思うてな。」
「ああ、いつでも打たれてやら。ちょッ、可厭(いや)(うるさ)く笛を吹くない。」
 かたりと(かど)の戸を外から開ける。
「ええ、吃驚(びっくり)すら。」
「今晩は、――饂飩六ツ急いでな。」と草履穿(ぞうりば)きの半纏着(はんてんぎ)、背中へ白く月を浴びて、赤い鼻をぬいと出す。
「へい。」と筒抜けの高調子で、亭主帳場へ棒に突立(つッた)ち、
「お方、そりゃ早うせぬかい。」
 女房は澄ましたもので、
「美しい跫音(あしおと)やな、どこの?」と聞く。
「こないだ山田の新町から住替えた、こんの島家の新妓(しんこ)じゃ。」と言いながら、鼻赤の若い衆は、(のぞ)いた顔を外に曲げる。
 と門附は、背後(うしろ)の壁へ胸を反らして、ちょっと伸上るようにして、戸に立つ男の肩越しに、(こう)とした月の(くるわ)の、細い(とおり)を見透かした。
 駒下駄はちと音低く、まだ、からころと響いたのである。
沢山(たんと)出なさるかな。」
「まあ、こんの饂飩のようには行かぬで。」
「その気で、すぐに届けますえ。」
「はい頼んます。」と、男は返る。
 亭主帳場から背後(うしろ)向きに、日和下駄(ひよりげた)を探って下り、がたりびしりと手当り強く、そこへ広蓋(ひろぶた)出掛(だしか)ける。ははあ、夫婦二人のこの店、気の毒千万、御亭が出前持を兼ねると見えたり。
「裏表とも気を()けるじゃ、()いか、可いか。ちょっと道寄りをして来るで、可いか、お方。」
 とそこいらじろじろと睨廻(ねめまわ)して、新地の月に提灯(ちょうちん)()らず、片手懐にしたなりで、亭主が出前、ヤケにがっと戸を開けた。(あと)を閉めないで、ひょこひょこ出て()く。
 釜の湯気が(さっ)と分れて、門附の頬に影がさした。
 女房横合から来て、
「いつまで、うっかり見送ってじゃ、そんなに(かたき)が打たれたいの。」
女房(おかみ)さん、桑名じゃあ……芸者の箱屋は按摩かい。」と悚気(ぞっ)としたように肩を細く、この時やっと居直って、女房を見た、色が悪い。

       十

「そうさ、いかに伊勢の浜荻(はまおぎ)だって、按摩の箱屋というのはなかろう。私もなかろうと思うが、今向う側を何んとか屋の新妓(しんこ)とか云うのが、からんころんと通るのを、何心なく見送ると、あの、一軒おき二軒おきの、軒行燈(のきあんどん)では浅葱(あさぎ)になり、月影では青くなって、薄い紫の座敷着で、(つま)蹴出(けだ)さず、ひっそりと、白い襟を俯向(うつむ)いて、足の運びも進まないように何んとなく(しお)れて行く。……その(あと)から、鼠色の影法師。女の影なら月に(つち)()(はず)だに、寒い道陸神(どうろくじん)が、のそのそと四五尺離れた処を、ずっと前方(むこう)まで附添ったんだ。腰附、肩附、歩行(ある)(ふり)()っちて附着(くッつ)けたような不恰好(ぶかっこう)天窓(あたま)の工合、どう見ても按摩だね、盲人(めくら)らしい、めんない千鳥よ。……私あ何んだ、だから、按摩が箱屋をすると云っちゃ可笑(おかし)い、盲目(めくら)になった箱屋かも知れないぜ。」
「どんな風の、どれな。」
 と(かど)へ出そうにする。
「いや、もう見えない。呼ばれた(うち)へ入ったらしい。二人とも、ずっと前方(さき)で居なくなった。そうか。ああ、盲目の箱屋は居ねえのか。アまた()えたぜ……影がさす、笛の音に影がさす、按摩の笛が降るようだ。この寒い月に(つも)ったら、桑名の町は針の山になるだろう、(たま)らねえ。」
 とぐいと(あお)って、
「ええ、ヤケに飲め、一杯どうだ、女房(おかみ)さん附合いねえ。御亭主は留守だが、明放(あけっぱな)しよ、……構うものか。それ向う三軒の屋根越に、雪坊主のような山の影が(のぞ)いてら。」
 と門を振向き、あ、と叫んで、
「来た、来た、来た、来やあがった、来やあがった、按摩々々、按摩。」
 と呼吸(いき)()かず、続けざまに急込(せきこ)んだ、自分の声に、町の中に、ぬい、と立って、杖を脚許(あしもと)斜交(はすっか)いに突張(つッぱ)りながら、目を白く仰向(あおむ)いて、月に小鼻を照らされた流しの按摩が、呼ばれたものと心得て、そのまま凍附(いてつ)くように立留まったのも、門附はよく分らぬ(さま)で、
「影か、影か、阿媽(おっかあ)、ほんとの按摩か、影法師か。」
 と激しく聞く。
「ほんとなら、どうおしる。貴下(あんた)、そんなに按摩さんが恋しいかな。」
「恋しいよ! ああ、」
 と呼吸(いき)()いて、見直して、眉を(ひそ)めながら、声高(こわだか)に笑った。
「ははははは、按摩にこがれてこの(てい)さ。おお、按摩さん、按摩さん、さあ入ってくんねえ。」
 門附は、(ばち)()けて、床几(しょうぎ)を叩いて、
「一つ頼もう。女房(おかみ)さん、済まないがちょいと借りるぜ。」
「この畳へ来て横におなりな。按摩さん、お客だす、あとを閉めておくんなさい。」
「へい。」
 コトコトと杖の音。
「ええ……とんと早や、影法師も同然なもので。」と(かす)れ声を白く出して、黒いけんちゅう羊羹色(ようかんいろ)被布(ひふ)を着た、(ともしび)の影は、赤くその(しわ)の中へさし込んだが、日和下駄から消えても()せず、片手を泳ぎ、片手で酒の香を嗅分(かぎわ)けるように入った。
「聞えたか。」
 とこの門附は、権のあるものいいで、五六本銚子の並んだ、膳をまた(わき)へずらす。
「へへへ」とちょっと鼻をすすって、ふん、とけなりそうに(におい)()ぐ。
「待ちこがれたもんだから、戸外(そと)を犬が走っても、按摩さんに見えたのさ。こう、悪く言うんじゃないぜ……そこへぬっくりと(あらわ)れたろう、酔っている、幻かと思った。」
「ほんに待兼ねていなさったえ。あの、笛の音ばかり気にしなさるので、私もどうやら()めなんだが、やっと分ったわな、何んともお待遠でござんしたの。」
「これは、おかみさま、御繁昌(ごはんじょう)。」
「お客はお一人じゃ、ゆっくり療治してあげておくれ。それなりにお()ったら、お泊め申そう。」
 と言う。
 按摩どの、けろりとして、
「ええ、その気で、念入りに一ツ、(つかま)りましょうで。」と我が手を握って、(ひし)ぐように、ぐいと()んだ。
「へい、旦那。」
「旦那じゃねえ。ものもらいだ。」とまた(あお)る。
 女房が(そっ)(にら)んで、
「滅相な、あの、言いなさる。」

       十一

「いや、横になるどころじゃない、沢山だ、ここで沢山だよ。……第一背中へ(つか)まられて、一呼吸(ひといき)でも(こた)えられるかどうだか、実はそれさえ覚束(おぼつか)ない。悪くすると、そのまま目を(まわ)して打倒(ぶったお)れようも知れんのさ。(てい)よく按摩さんに掴み殺されるといった形だ。」
 と真顔で言う。
「飛んだ事をおっしゃりませ、田舎でも、これでも、長年年期を入れました杉山流のものでござります。鳩尾(きゅうび)(はり)をお打たせになりましても、決して間違いのあるようなものではござりませぬ。」と(あき)れたように、按摩の()く目は(あお)かりけり。
「うまい、まずいを言うのじゃない。いつの幾日(いくか)にも何時(なんどき)にも、洒落(しゃれ)にもな、生れてからまだ一度も按摩さんの味を知らないんだよ。」
「まあ、あんなにあんた、こがれなさった癖に。」
「そりゃ、張って張って仕様がないから、目にちらつくほど待ったがね、いざ……となると初産(ういざん)です、(きゅう)の皮切も同じ事さ。どうにも勝手が分らない。痛いんだか、(かゆ)いんだか、風説(うわさ)に因ると(くすぐ)ったいとね。多分私も擽ったかろうと思う。……ところがあいにく、母親(おふくろ)が操正しく、これでも密夫(まおとこ)()じゃないそうで、その擽ったがりようこの上なし。……あれ、あんなあの、握飯(にぎりめし)(こさ)えるような手附をされる、とその手で揉まれるかと思ったばかりで、もう(たま)らなく擽ったい。どうも、ああ、こりゃ不可(いけね)え。」
 と脇腹へ両肱(りょうひじ)を、しっかりついて、掻竦(かいすく)むように脊筋を()る。
「ははははは、これはどうも。」と按摩は手持不沙汰な風。
 女房(あらた)めて顔を(のぞ)いて、
「何んと、まあ、可愛らしい。」
「同じ事を、可哀想(かわいそう)だ、と言ってくんねえ。……そうかと言って、こう張っちゃ、身も皮も石になって(かたま)りそうな、(せなか)(つま)って胸は裂ける……揉んでもらわなくては遣切(やりき)れない。遣れ、構わない。」
 と激しい声して、片膝を(きっ)と立て、
「殺す気で(かか)れ。こっちは覚悟だ、さあ。ときに女房(おかみ)さん、袖摺(そです)り合うのも他生(たしょう)の縁ッさ。旅空掛けてこうしたお世話を受けるのも(さき)の世の何かだろう、何んだか、おなごりが(おし)いんです。掴殺(つかみころ)されりゃそれきりだ、も一つ(はばか)りだがついでおくれ、別れの杯になろうも知れん。」
 と(しずく)を切って、ついと出すと、他愛なさもあんまりな、目の色の変りよう、(まなじり)(きっ)となったれば、女房は気を打たれ、黙然(だんまり)でただ目を&ruby(みは){女?;る。
「さあ按摩さん。」
「ええ、」
女房(おかみ)さん()いどくれよ!」
「はあ、」と酌をする手がちと震えた。
 この茶碗を、一息に仰ぎ干すと、按摩が手を掛けたのと一緒であった。
 がたがたと身震いしたが、(おもて)(さいわい)に紅潮して、
「ああ、(はらわた)沁透(しみとお)る!」
「何かその、何事か存じませぬが、按摩は大丈夫でござります。」と、これもおどつく。
「まず、」
 と突張(つッぱ)った手をぐたりと緩めて、
生命(いのち)に別条は無さそうだ、しかし、しかし(こた)える。」
 とがっくり俯向(うつむ)いたのが、ふらふらした。
「月は寒し、炎のようなその指が、火水となって骨に響く。胸は冷い、耳は熱い。()は燃える、血は冷える。あっ、」と言って、両手を落した。
 吃驚(びっくり)して按摩が手を引く、その(くちばし)(たこ)に似たり。
 兄哥(あにい)は、しっかり起直って、
「いや、手をやすめず遣ってくれ、あわれと思って(しずか)に……よしんば(そっ)と揉まれた処で、私は五体が砕ける思いだ。
 その思いをするのが可厭(いや)さに、いろいろに悩んだんだが、()ければ摺着(すりつ)く、過ぎれば引張(ひっぱ)る、逃げれば追う。形が無ければ声がする……ピイピイ笛は攻太鼓(せめだいこ)だ。こうひしひしと寄着(よッつ)かれちゃ、弱いものには我慢が出来ない。(ふち)に臨んで、(がけ)の上に瞰下(みお)ろして踏留(ふみとど)まる胆玉(きもだま)のないものは、いっその思い、真逆(まっさかさま)に飛込みます。破れかぶれよ、按摩さん、従兄弟(いとこ)再従兄弟(はとこ)か、伯父甥(おじおい)か、親類なら、さあ、(かたき)を取れ。私はね、……お仲間の按摩を一人殺しているんだ。」

       十二

「今からちょうど三年前。……その年は、この月から一月(おくれ)師走(しわす)の末に、名古屋へ用があって来た。ついでと言っては悪いけれど、(かせぎ)の繰廻しがどうにか附いて、参宮が出来るというのも、お伊勢様の思召(おぼしめし)冥加(みょうが)のほど難有(ありがた)い。ゆっくり古市(ふるいち)逗留(とうりゅう)して、それこそついでに、……浅熊山(あさまやま)の雲も見よう、鼓ヶ嶽(たけ)調(しらべ)も聞こう。二見(ふたみ)じゃ初日を拝んで、堺橋から、池の浦、沖の島で空が別れる、上郡(かみごおり)から志摩へ入って、日和山(ひよりやま)を見物する。……海が()いだら船を出して、伊良子(いらこ)ヶ崎の海鼠(なまこ)で飲もう、何でも五日六日は逗留というつもりで。……山田では尾上町の藤屋へ泊った。驚くべからず――まさかその時は私だって、浴衣に(あわせ)じゃ居やしない。
 着換えに紋付(もんつき)の一枚も持った、(しま)襲衣(かさね)の若旦那さ。……ま、こう、雲助が傾城買(けいせいがい)の昔を語る……負惜(まけおし)みを言うのじゃないよ。何も自分の働きでそうした訳じゃないのだから。――聞きねえ、親なり、叔父なり、師匠なり、恩人なりという、……私が稼業じゃ江戸で一番、日本中の家元の大黒柱と云う、少兀(すこはげ)の苦い(つら)した阿父(おやじ)がある。
 いや、その顔色(がんしょく)に似合わない、気さくに巫山戯(ふざけ)江戸児(えどッこ)でね。行年(ぎょうねん)その時六十歳を、三つと刻んだはおかしいが、数え年のサバを()んで、私が代理に宿帳をつける時は、天地人とか何んとか言って、(ぜん)の問答をするように、指を三本、ひょいと出してギロリと(にら)む……五十七歳とかけと云うのさ。()いかね、その気だもの……旅籠屋の女中が出てお給仕をする前では、阿父(おとっ)さんが大の禁句さ。……与一兵衛じゃあるめえし、(てめえ)定九郎(さだくろう)のように呼ぶなえ、と唇を捻曲(ねじま)げて、叔父さんとも言わせねえ、兄さんと呼べ、との御意だね。
 この叔父さんのお供だろう。道中の面白さ。酒はよし、景色はよし、日和は続く。どこへ行っても女はふらない。師走の山路に、嫁菜が盛りで、しかも大輪(おおりん)が咲いていた。
 とこの桑名、四日市、亀山と、伊勢路へ(かか)った汽車の中から、おなじ切符のたれかれが――その(もよおし)について名古屋へ行った、私たちの、まあ……興行か……その興行の風説(うわさ)をする。嘘にもどうやら、私の評判も()さそうな。叔父はもとより。……何事も言うには及ばん。――私が口で饒舌(しゃべ)っては、流儀の恥になろうから、まあ、何某(なにがし)と言ったばかりで、世間は承知すると思って、聞きねえ。
 ところがね、その私たちの事を言うついでに、この伊勢へ入ってから、きっと一所に出る、人の名がある。可いかい、山田の古市に惣市(そういち)と云う按摩鍼(あんまはり)だ。」
 門附はその名を言う時、うっとりと瞳を据えた。(せなか)(いだ)くように背後(うしろ)に立った按摩にも、床几(しょうぎ)に近く裾を投げて、向うに腰を掛けた女房にも、目もくれず、(じっ)と天井を仰ぎながら、胸前(むなさき)にかかる湯気を忘れたように手で(さば)いて、
「按摩だ、がその按摩が、(もと)はさる大名に仕えた士族の(はて)で、聞きねえ。私等が流儀と、(おんな)じその道の芸の上手。江戸の宗家も、本山も、当国古市において、一人で兼ねたり、という(いきおい)で、自ら宗山(そうざん)名告(なの)天狗(てんぐ)。高慢も高慢だが、また出来る事も出来る。……東京の本場から、誰も来て(おびや)かされた。(それがし)も参って(ひし)がれた。あれで一眼でも有ろうなら、三重県に居る代物(しろもの)ではない。今度名古屋へ来た連中もそうじゃ、贋物(にせもの)ではなかろうから、何も宗山に稽古をしてもらえとは言わぬけれど、(うなぎ)(ほか)に、(たい)がある、味を知って帰れば可いに。――と才発(さいはじ)けた商人(あきんど)風のと、でっぷりした金の入歯の、土地の物持とも思われる奴の話したのが、風説(うわさ)の中でも耳に付いた。
 叔父はこくこく坐睡(いねむり)をしていたっけ。(わっし)あ若気だ、襟巻で顔を隠して、(にら)むように二人を見たのよ、ね。
 宿の藤屋へ着いてからも、わざと、叔父を一人で湯へ遣り……女中にもちょっと聞く。……挨拶(あいさつ)に出た番頭にも、按摩の惣市、宗山と云う、これこれした芸人が居るか、と聞くと、誰の返事も同じ事。思ったよりは高名で、現に、この頃も藤屋に泊った、何某侯(なにがしこう)の御隠居の御召に因って、上下(かみしも)で座敷を()た時、(さてもな、鼓ヶ嶽が近いせいか、これほどの松風は、東京でも聞けぬ、)と御賞美。
的等(てきら)にも聞かせたい。)と宗山が言われます、とちょろりと饒舌(しゃべ)った。(わっし)夥間(なかま)を――(的等。)と言う。
 的等の一人(いちにん)、かく言う私だ……」

       十三

「なお聞けば、古市のはずれに、その惣市、小料理屋の店をして、(めかけ)の三人もある、大した(いきおい)だ、と言うだろう。――何を!……按摩の分際で、宗家の、宗の字、この道の、本山が(すさま)じい。
 こう、按摩さん、舞台の(さし)堪忍(かに)してくんな。」
 と、(そっ)と痛そうに胸を(おさ)えた。
「後で、よく気がつけば、信州のお百姓は、東京の芝居なんぞ、ほんとの(しし)はないとて威張る。……な、宮重大根が日本一なら、(かぶ)の千枚漬も皇国無双で、早く言えば、この桑名の、焼蛤も三都無類さ。
 その気で居れば可いものを、二十四の前厄なり、若気の一図(いちず)苛々(いらいら)して、第一その宗山が気に入らない。(的等。)もぐっと癪(しゃく){に障れば、妾三人で(かっ)とした。
 維新以来の世がわりに、……一時(ひとしきり)私等の稼業がすたれて、夥間(なかま)が食うに困ったと思え。弓矢取っては一万石、大名株の芸人が、イヤ楊枝(ようじ)を削る、かるめら焼を露店で売る。……蕎麦屋(そばや)の出前持になるのもあり、現在私がその小父者(おじご)などは、田舎の役場に小使いをして、濁り酒のかすに酔って、田圃(たんぼ)(あぜ)に寝たもんです。……
 その妹だね、可いかい、私の阿母(おふくろ)が、振袖の年頃を、困る処へ附込んで、小金(こがね)を溜めた按摩めが、ちとばかりの貸を(かせ)に、妾にしよう、と追い廻わす。――(あぶな)く駒下駄を踏返して、駕籠(かご)でなくっちゃ見なかった隅田川へ落ちようとしたっさ。――その話にでも嫌いな按摩が。
 ええ。
 待て、見えない両眼で、(うぬ)が身の程を(あかる)く見るよう、療治を一つしてくりょう。
 で、翌日(あくるひ)は謹んで、参拝した。
 その尊さに、その晩ばかりはちっとの酒で宵寝をした、叔父の夜具の裾を叩いて、枕許(まくらもと)へ水を置き、
(女中、そこいらへ見物に、)
 と言った心は、穴を(おさ)えて、宗山を退治る料簡(りょうけん)
 と出た、風が荒い。荒いがこの風、五十鈴川(いすずがわ)(かぎ)られて、宇治橋の向うまでは吹くまいが、相の山の長坂を下から(どっ)と吹上げる……これが悪く生温(なまぬる)くって、(あかり)の前じゃ砂が黄色い。月は雲の底に(どんよ)りしている。神路山(かみじやま)の樹は(あお)くても、二見の波は白かろう。(ひど)(いきおい)、ぱっと吹くので、たじたじとなる。帽子が飛ぶから、そのまま、藤屋が店へ投返した……と脊筋へ(はら)んで、坊さんが忍ぶように羽織の袖が飜々(ひらひら)する。着換えるのも面倒で、昼間のなりで、神詣(かみもう)での紋付さ。――袖畳みに懐中(ふところ)捻込(ねじこ)んで、何の洒落(しゃれ)にか、手拭で頬被りをしたもんです。
 門附になる前兆さ、(ざま)を見やがれ。」と片手を袖へ、二の腕深く突込(つッこ)んだ。片手で(ねら)うように茶碗を(おさ)えて、
「ね、古市へ行くと、まだ宵だのに寂然(ひっそり)している。……軒が、がたぴしと鳴って、軒行燈(のきあんどん)がばッばッ揺れる。三味線(さみせん)の音もしたけれど、(ふき)さらわれて大屋根へ猫の姿でけし飛ぶようさ。何の事はない、今夜のこの寂しい新地へ、風を持って来て、打着(ぶッつ)けたと思えば可い。
 一軒、(つち)のちと(くぼ)んだ処に、溝板(どぶいた)から直ぐに竹の欄干(てすり)になって、毛氈(もうせん)の端は刎上(はねあが)り、畳に赤い島が出来て、洋燈(ランプ)は油煙に(くすぶ)ったが、真白(まっしろ)に塗った姉さんが一人居る、空気銃、吹矢の店へ、ひょろりとして引掛(ひっかか)ったね。
 取着(とッつ)きに、(ひじ)()いて、怪しく正面に(まなこ)の光る、悟った顔の達磨様(だるまさま)と、女の顔とを、七分三分に狙いながら、
(この辺に宗山ッて按摩は居るかい。)とここで実は様子を聞く気さ。押懸けて()こうたってちっとも勝手が知れないから。
(先生様かね、いらっしゃります。)と何と、(的等。)の一人に、先生を、しかも、様づけに呼ぶだろう。
(実は、その人の何を、一つ、聞きたくって来たんだが、誰が行っても頼まれてくれるだろうか。)と尋ねると、大熨斗(おおのし)を書いた幕の影から、色の(あお)い、(びん)の乱れた、()せた中年増(ちゅうどしま)が顔を出して、(知己(ちかづき)のない、旅の方にはどうか知らぬ、お(のぞみ)なら、内から案内して上げましょうか。)と言う。
 茶代を奮発(はず)んで、頼むと言った。
(案内して上げなはれ、()い旦那や、気を付けて、)と目配(めくばせ)をする、……と雑作はない、その塗ったのが、いきなり、欄干を(また)いで出る奴さ。」

       十四

「両袖で口を(ふさ)いで、風の中を俯向(うつむ)いて()く。……その女の案内で、つい向う路地を入ると、どこも吹附けるから、戸を()したが、怪しげな行燈(あんどん)(あお)って見える、ごたごたした両側の長屋の中に、溝板(どぶいた)の広い、格子戸造りで、この一軒だけ二階屋。
 軒に、御手軽御料理(おんりょうり)としたのが、宗山先生の住居(すまい)だった。
(お客様。)と云う女の送りで、ずッと入る。直ぐそこの長火鉢を取巻いて、三人ばかり、変な女が、立膝やら、横坐りやら、猫板に頬杖やら、料理の方は(ひま)らしい。……上框(あがりかまち)の正面が、取着(とッつ)きの狭い階子段(はしごだん)です。
(座敷は二階かい、)と突然(いきなり)頬被(ほおかむり)を取って上ろうとすると、風立つので(あかり)を置かない。真暗(まっくら)だからちょっと待って、と色めいてざわつき出す。とその拍子に風のなぐれで、奴等の上の釣洋燈(つりランプ)がぱっと消えた。
 そこへ、中仕切(なかじきり)の障子が、次の()(あかり)にほのめいて、二枚見えた。真中(まんなか)へ、ぱっと映ったのが、大坊主の額の出た、唇の(おおき)い影法師。む、宗山め、居るな、と思うと、憎い事には……影法師の、その背中に(つか)まって、坊主を()んでるのが華奢(きゃしゃ)らしい島田(まげ)で、この影は、濃く映った。
 火燧(マッチ)々々、と女どもが云う内に、
(えへん)と(せきばらい)を太くして、(おおき)な手で、灰吹を持上げたのが見えて、離れて煙管(きせる)が映る。――もう一倍、その時図体が拡がったのは、袖を開いたらしい。此奴(こいつ)()寝子(ねこ)広袖(どてら)を着ている。
 やっと台洋燈を()けて、
(お待遠でした、さあ、)
 って二階へ。吹矢の店から送って来た女はと、中段からちょっと見ると、両膝をずしりと、そこに居た奴の背後(うしろ)へ火鉢を離れて、俯向(うつむ)いて坐った。
(あの()()いのかな、(ほか)にもござりますよって。)
 と六畳の表座敷で低声で言うんだ。――ははあ、商売も大略(あらまし)分った、と思うと、其奴(そいつ)
(お(あつらえ)は。)
 と(おおき)な声。
(あっさりしたものでちょっと一口。そこで……)
 実は……御主人の按摩さんの、咽喉(のど)が一つ聞きたいのだ、と話した。
(咽喉?)……と其奴がね、(おつ)(さげす)んだ笑い方をしたものです。
(先生様の……でござりますか、早速そう申しましょう。)
 で、地獄の手曳(てびき)め、急に衣紋繕(えもんづくろ)いをして下りる。しばらくして上って来た年紀(とし)(わか)い十六七が、……こりゃどうした、よく言う口だが芥溜(はきだめ)に水仙です、鶴です。帯も襟も唐縮緬(とうちりめん)じゃあるが、もみじのように美しい。結綿(いいわた)のふっくりしたのに、浅葱(あさぎ)鹿()の子の絞高(しぼだか)な手柄を掛けた。やあ、三人あると云う、妾の一人か。おおん神の、お膝許(ひざもと)で沙汰の限りな! 宗山坊主の背中を揉んでた島田髷の影らしい。惜しや、五十鈴川の星と澄んだその目許も、(なまず)(ひれ)で濁ろう、と可哀(あわれ)に思う。この娘が紫の袱紗(ふくさ)()せて、薄茶を持って来たんです。
 いや、御本山の御見識、その咽喉(のど)を聞きに来たとなると……客にまず(はかま)穿()かせる仕向(しむけ)をするな、真剣勝負面白い。で、こっちも(いきおい)懐中(ふところ)から羽織を出して着直したんだね。
 やがて、また持出した、(さかずき)というのが、朱塗に二見ヶ浦を金蒔絵(きんまきえ)した、杯台に構えたのは(すご)かろう。
(まず一ツ上って、こっちへ。)
 と按摩の方から、この杯の指図をする。その工合が、謹んで聞け、といった、(すこぶ)る権高なものさ。どかりとそこへ構え込んだ。その容子(ようす)が膝も腹もずんぐりして、胴中(どうなか)ほど咽喉(のど)が太い。耳の(わき)から眉間(みけん)へ掛けて、小蛇のように筋が(うね)くる。眉が薄く、鼻がひしゃげて、ソレその唇の厚い事、おまけに頬骨がギシと出て、歯を()むとガチガチと鳴りそう。左の一眼べとりと()い、右が白眼(しろまなこ)で、ぐるりと(かえ)った、しかも一面、念入の黒痘瘡(くろあばた)だ。
 が、争われないのは、不具者(かたわ)相格(そうごう)、肩つきばかりは、みじめらしくしょんぼりして、()の熊入道もがっくり投首の抜衣紋(ぬきえもん)で居たんだよ。」

       十五

「いえな、何も私が意地悪を言うわけではないえ。」
 と湊屋の女中、前垂の膝を堅くして――(かたわら)に柔かな髪の(ふっさ)りした島田の(びん)を重そうに差俯向(さしうつむ)く……襟足白く冷たそうに、水紅色(ときいろ)羽二重(はぶたえ)の、無地の長襦袢(ながじゅばん)の肩が(すべ)って、寒げに脊筋の抜けるまで、(なよ)やかに、打悄(うちしお)れた、残んの嫁菜花(よめな)の薄紫、浅葱(あさぎ)のように目に淡い、藤色縮緬(ちりめん)の二枚着で、姿の寂しい、二十(はたち)ばかりの若い芸者を流盻(しりめ)に掛けつつ、
「このお座敷は(もろ)うて上げるから、なあ和女(あんた)、もうちゃっと内へお()にや。……島家の、あの三重(みえ)さんやな、和女、お三重さん、お帰り!」
 と(きっ)と言う。
「お前さんがおいでやで、ようお客さんの御機嫌を取ってくれるであろうと、小女(こおんな)ばかり附けておいて、私が勝手へ立違うている(うち)や、……勿体ない、お客たちの、お年寄なが気に入らぬか、近頃山田から来た言うて、こちの私の(とこ)を見くびったか、酌をせい、と仰有(おっしゃ)っても、浮々(うきうき)とした顔はせず……三味線(さみせん)聞こうとおっしゃれば、鼻の(さき)で笑うたげな。(そば)に居た喜野が見かねて、私の袖を引きに来た。
 先刻(さっき)から、ああ、こうと、口の酸くなるまで、機嫌を取るようにして、私が和女の調子を取って、よしこの一つ上方唄でも、どうぞ三味線の()をさしておくれ。お客様がお寂しげな、座敷が浮かぬ、お見やんせ、蝋燭(ろうそく)の灯も白けると、頼むようにして聞かいても、知らぬ、知らぬ、と言通す。三味線は和女、禁物か。下手や言うて、知らぬ云うて、(まがり)なりにもお座つき一つ弾けぬ芸妓(げいこ)がどこにある。
 よう、思うてもお見。平の座敷か、そでないか。貴客(あなた)がたのお人柄を見りゃ分るに、何で和女、勤める気や。私が済まぬ。さ、お立ち。ええ、私が箱を下げてやるから。」
 と優しいのがツンと立って、襖際(ふすまぎわ)に横にした三味線を邪険に取って、()縦様(たてざま)に引立てる。
「ああれ。」
 はっと(もすそ)()らして、取縋(とりすが)るように、女中の膝を(そっ)と抱き、袖を引き、三味線を引留めた。お三重の姿は崩るるごとく、芍薬(しゃくやく)の花の散るに似て、
「堪忍して下さいまし、堪忍して、堪忍して、」と、呼吸(いき)の切れる声が湿(うる)んで、
「お客様にも、このお内へも、な、何で私が失礼しましょう。ほんとに、あの、ほんとに三味線は出来ませんもの、姉さん、」
 と(ことば)が途絶えた。……
「今しがたも、な、他家(よそ)のお座敷、隅の方に坐っていました。不断ではない、兵隊さんの送別会、大陽気に騒ぐのに、芸のないものは置かん、衣服(きもの)を脱いで踊るんなら(よし)可厭(いや)なら下げると……私一人帰されて、主人の(うち)へ戻りますと、直ぐに(ひど)いめに逢いました、え。
 三味線も弾けず、踊りも出来ぬ、座敷で衣物(きもの)が脱げないなら、内で脱げ、引剥(ひっぱ)ぐと、な、帯も何も取られた上、台所で突伏(つッぷ)せられて、引窓をわざと開けた、寒いお月様のさす影で、恥かしいなあ、柄杓(ひしゃく)で水を立続けて乳へも胸へもかけられましたの。
 こちらから、あの、お座敷を掛けて下さいますと、どうでしょう、炬燵(こたつ)(あたた)めた襦袢(じゅばん)を着せて、東京のお客じゃそうなと、な、取って置きの着物を出して、よう勤めて帰れや言うて、御主人が手で、駒下駄まで出すんです。
 勤めるたって、どうしましょう……踊は立って歩行(ある)くことも出来ませんし、三味線は、それが姉さん、手を当てれば誰にだって、音のせぬ事はないけれど、弾いて聞かせとおっしゃるもの、どうして私唄えます。……
 不具(かたわ)でもないに(なさけ)ない。調子が自分で出来ません。何をどうして、お座敷へ置いて頂けようと思いますと、気が()けて気が怯けて、口も満足利けませんから、何が気に入らないで、失礼な顔をすると、お思い遊ばすのも無理はない、なあ。……
 このお家へは、お台所で、洗い物のお手伝をいたします。姉さん、え、姉さん。」
 と袖を(さす)って、一生懸命、うるんだ目許(めもと)を見得もなく、仰向(あおむ)けになって女中の顔。……色が見る見る(やわら)いで、突いて立った三味線の(さお)(たわ)みそうになった、と見ると、二人の客へ、向直った、ふっくりとある(あや)の帯の結目(むすびめ)で、なおその女中の(たもと)(おさ)えて。……

       十六

 お三重は、そして、(あらた)めて二箇(ふたり)の老人に手を()いた。
「芸者でお呼び遊ばした、と思いますと……お役に立たず、(きま)りが悪うございまして、お銚子(ちょうし)を持ちますにも手が震えてなりません。下婢(おさん)をお(そば)へお置き遊ばしたとお思いなさいまして、お休みになりますまでお使いなすって下さいまし。お背中を(たた)きましょう、な、どうぞな、お肩を()まして下さいまし。それなら一生懸命にきっと精を出します。」
 と惜気(おしげ)もなく、前髪を畳につくまで平伏(ひれふ)した。三指づきの折かがみが、こんな中でも、打上る。
 本を開いて、道中の絵をじろじろと黙って見ていた捻平が、重くるしい口を開けて、
「子孫末代よい意見じゃ、旅で芸者を呼ぶなぞは、のう、お互に以後謹もう……」と火箸に手を置く。
 所在なさそうに半眼で、正面(まとも)臨風榜可小楼(りんぷうぼうかしょうろう)を仰ぎながら、程を忘れた巻莨(まきたばこ)、この時、口許へ火を吸って、慌てて灰へ(ほう)って、弥次郎兵衛は一つ()せた。
「ええ、いや、女中、……追って祝儀はする。ここでと思うが、その()が気が(つま)ろうから、どこか小座敷へ休まして(みんな)で饂飩でも食べてくれ。私が(おご)る。で、何か面白い話をして遊ばして、やがて()い時分に帰すが可い。」と冷くなった猪口(ちょこ)を取って、寂しそうに()と飲んだ。
 女中は、これよりさき、()いて突立(つッた)ったその三味線を、次の()の暗い方へ(そっ)押遣(おしや)って、がっくりと筋が()えた風に、折重なるまで摺寄(すりよ)りながら、黙然(だんま)りで、(ともしび)の影に水のごとく打揺(うちゆら)ぐ、お三重の背中を(さす)っていた。
「島屋の亭が、そんな(ひど)い事をしおるかえ。可いわ、内の御隠居にそう言うて、沙汰をして上げよう。心安う思うておいで、ほんにまあ、よう和女(あんた)、顔へ(きず)もつけんの。」
 と、かよわい(かいな)撫下(なでお)ろす。
「ああ、それも売物じゃいうだけの斟酌(しんしゃく)に違いないな。……お客様に礼言いや。さ、そして、何かを話しがてら、御隠居の炬燵(こたつ)へおいで。切下髪(きりさげがみ)頭巾(ずきん)(かぶ)って、ちょうどな、羊羹(ようかん)切って、茶を食べてや。
 けども、」
 とお三重の、その清らかな襟許(えりもと)から、優しい鬢毛(びんのけ)差覗(さしのぞ)くように、右瞻左瞻(とみこうみ)て、
和女(あんた)、因果やな、ほんとに、三味線は弾けぬかい。ペンともシャンとも。」
 で、わざと慰めるように吻々(ほほ)と笑った。
 人の(なさけ)に溶けたと見える……氷る涙の玉を散らして、はっと泣いた声の下で、
「はい、願掛けをしましても、塩断ちまでしましたけれど、どうしても分りません、調子が一つ出来ません。性来(うまれつき)でござんしょう。」
 師走の闇夜(やみよ)白梅(しらうめ)の、(おもて)(ろう)に照らされる。
「踊もかい。」
「は……い、」
「泣くな、弱虫、さあ一つ飲まんか! 元気をつけて。向後どこへか呼ばれた時は、(おび)えるなよ。気の持ちようでどうにもなる。ジャカジャカと引鳴らせ、糸瓜(へちま)の皮で掻廻すだ。(こと)胡弓(こきゅう)も用はない。銅鑼鐃※(「金+祓のつくり」(どらにょうはち)を叩けさ。(しょう)の笛をピイと遣れ、上手下手は誰にも分らぬ。それなら芸なしとは言われまい。踊が出来ずば体操だ。一、」
 と左右へ、羽織の紐の()れるばかり大手を拡げ、寛濶(かんかつ)な胸を反らすと、
「二よ。」と、庄屋殿が鉄砲二つ、ぬいと前へ突出いて、励ますごとく呵々(からから)と弥次郎兵衛、
「これ、その位な事は出来よう。いや、それも度胸だな。見た処、そのように気が弱くては、いかな事も(やっ)つけられまい、可哀相に。」と声が(かす)れる。
「あの……私が、自分から、言います事は出来ません、お(はずか)しいのでございますが、舞の真似(まね)が少しばかり立てますの、それもただ一ツだけ。」
 と云う顔を俯向(うつむ)いて、恥かしそうにまた手を()く。
「舞えるかえ、舞えるのかえ。」
 と女中は嬉しそうな声をして、
「おお、踊や言うで明かんのじゃ。舞えるのなら立っておくれ。このお座敷、遠慮は()らん。待ちなはれ、地が要ろう。これ喜野、あすこの広間へ行ってな、内の千がそう言うたて、誰でも弾けるのを借りて来やよ。」
 とぽんとしていた小女の喜野が立とうとする、と、名告(なの)ったお千が、打傾いて、優しく口許をちょいと曲げて傾いて、
「待って、待って、」

       十七

「いつもと違う。……一度軍隊へ行きなさると、日曜でのうては出られぬ、……お国のためやで、()れぬ苦労もしなさんす。新兵さんの送別会や。女衆が大勢居ても、一人抜けてもお座敷が寂しくなるもの。
 可いわ、旅の恥は掻棄てを反対(あべこべ)なが、一泊りのお客さんの前、私が三味線を掻廻そう。お三重さん、立つのは何? 有るものか、無いものか言うも行過ぎた……有るものとて無いけれど、どうにか間に合わせたいものではある。」
「あら、姉さん。」
 と、三味線取りに立とうとした、お千の膝を、袖で(おさ)えて、ちとはなじろんだ、お三重の愛嬌};&ruby(あいきょう){。
「糸に合うなら踊ります。あのな、私のはな、お能の舞の真似なんです。」と、言いも果てず、お千の膝に顔を隠して、小父者(おじご)と捻平に背向(そがい)になった初々しさ。包ましやかな姿ながら、身を()む姿の着崩れして、袖を離れて畳に長い、襦袢の袖は(なまめ)かしい。
「何、その舞を舞うのかい。」と弥次郎兵衛は一言云う。
 捻平膝の本をばったり伏せて、
「さて、飲もう。手酌でよし。ここで舞なぞは願い下げじゃ。せめてお題目の太鼓にさっしゃい。ふあはははは、」となぜか皺枯(しわが)れた高笑い、この時ばかり天井に(どっ)と響いた。
「捻平さん、捻さん。」
「おお。」
 と不性(ぶしょう)げにやっと(こた)える。
「何も道中の話の種じゃ、ちょっと見物をしようと思うね。」
「まず、ご免じゃ。」
「さらば、其許(そのもと)は目を(ねむ)るだ。」
「ええ、縁起の悪い事を言わさる。……明日にも江戸へ帰って、可愛い孫娘の顔を見るまでは、死んでもなかなか目は(ねむ)らぬ。」
「さてさて(ねじ)るわ、ソレそこが捻平さね。勝手になされ。さあ、あの()立ったり、この爺様(じいさま)に遠慮は入らぬぞ。それ、何にも芸がないと云うて肩腰をさすろうと卑下をする。どんな真似でも一つ遣れば、立派な芸者の面目(めんぼく)が立つ。祝儀取るにも心持が()かろうから、是非見たい。が、しかし心のままにしなよ、決して(つとめ)を強いるじゃないぞ。」
「あんなに仰有(おっしゃ)って下さるもの。さあ、どんな事するのや知らんが、まずうても大事ない、大事ない、それ、支度は入らぬかい。」
「あい、」
 とわずかに身を起すと、紫の襟を()むように――ふっくりしたのが、あわれに(やつ)れた――(おとがい)深く、恥かしそうに、内懐(うちぶところ)(のぞ)いたが、膚身(はだみ)に着けたと思わるる、……胸やや白き衣紋(えもん)を透かして、濃い紫の細い包、袱紗(ふくさ)縮緬(ちりめん)飜然(ひらり)(かえ)ると、燭台に照って、(さっ)と輝く、銀の地の、ああ、白魚(しらうお)の指に重そうな、一本の舞扇。
 晃然(きらり)とあるのを押頂くよう、前髪を掛けて、扇をその、玉簪(ぎょくさん)のごとく額に当てたを、そのまま折目高にきりきりと、月の出汐(でしお)の波の影、(しずか)照々(てらてら)と開くとともに、顔を隠して、反らした指のみ、両方親骨にちらりと白い。
 また川口の汐加減(しおかげん)、隣の広間の人動揺(ひとどよ)めきが颯と退()く。
 と見れば皎然(こうぜん)たる銀の地に、黄金の雲を散らして、紺青(こんじょう)の月、ただ一輪を描いたる、扇の影に声澄みて、
「――その時あま人申様(もうすよう)、もしこのたまを取得たらば、この御子(みこ)を世継の御位(みくらい)になしたまえと(もうし)しかば、子細(しさい)あらじと領承したもう、さて我子ゆえに捨ん命、露ほども(おし)からじと、千尋};&ruby(ちひろ){のなわを腰につけ、もしこの玉をとり得たらば、このなわを動かすべし、その時人々ちからをそえ――」
 と調子が(しま)って、
「……ひきあげたまえと約束し、(ひとつ)の利剣を抜持って、」
 と扇をきりりと袖を直す、と手練(てだれ)ぞ見ゆる、(おのず)から、衣紋の位に年()けて、瞳を定めたその(かんばせ)硝子(がらす)戸越に月さして、霜の川浪照添(てりそ)(おもかげ)。膝立据(たてす)えた畳にも、燭台(しょくだい)の花颯と流るる。
「ああ、待てい。」
 と捻平、力の(こも)った声を掛けた。

       十八

 で、火鉢をずっと(そば)へ引いて、
「女中、もちっとこれへ火をおくれ。いや、立つに及ばん。その、鉄瓶をはずせば()し。」と捻平がいいつける。
 この場合なり、何となく、お千も起居(たちい)身体(からだ)(しま)った。
 (しずか)に炭火を移させながら、捻平は膝をずらすと、革鞄(かばん)などは次の()へ……それだけ床の間に差置いた……車の上でも(うなじ)に掛けた風呂敷包を、重いもののように両手で(やわら)かに取って、膝の上へ据えながら、お千の顔を()けて、火鉢の上へ片手を裏表かざしつつ、
「ああ、これ、お三重さんとか言うの、そのお()、手を上げられい。さ、手を上げて、」
 と言う。……お三重は利剣で立とうとしたのを、(あわただ)しく捻平に留められたので、この時まで、差開いたその舞扇が、唇の花に霞むまで、俯向(うつむ)いた顔をひたと額につけて、片手を畳に()いていた。こう捻平に声懸けられて、わずかに顔を振上げながら、きりきりと一まず閉じると、その扇を畳むに連れて、今まで、(かっ)と瞳を張って見据えていた(まなこ)を、次第に(ふさ)いだ弥次郎兵衛は、ものも言わず、火鉢のふちに、ぶるぶると震う指を、と支えた(なり)の、巻莨(まきたばこ)から、音もしないで、ほろほろと灰がこぼれる。
 捻平座蒲団(さぶとん)を;&ruby(ひとひざ){一膝}出て、
「いや、(あらた)めて、(とく)と、見せてもらおうじゃが、まずこっちへ寄らしゃれ。ええ、今の(うたい)の、気組みと、その(かた)。教えも教えた、さて、習いも習うたの。
 こうまでこれを教うるものは、四国の(はて)にも(ほか)にはあるまい。あらかた人は分ったが、それとなく音信(たより)も聞きたい。の、其許(そこ)も黙って聞かっしゃい。」
 と弥次が(かた)に、捻平目遣(めづか)いを一つして、
「まず、どうして、誰から、御身(おみ)は習うたの。」
「はい、」
 と弱々と返事した。お三重はもう、他愛(たわい)なく娘になって、ほろりとして、
「あの、前刻(さっき)も申しましたように、不器用も通越した、調子はずれ、その上覚えが悪うござんして、長唄の宵や待ちの三味線(さみせん)のテンもツンも分りません。この間まで()りました、山田の新町の姉さんが、朝と昼と、手隙(てすき)な時は晩方も、日に三度ずつも、あの()んで含めて、胸を割って刻込むように教えて下すったんでございますけれど、自分でも悲しい。……暁の、とだけ十日かかって、やっと真似だけ弾けますと、夢になってもう手が違い、心では思いながら、三の手が一へ(すべ)って、とぼけたような()がします。
 (ばち)咽喉(のど)を引裂かれ、煙管(きせる)で胸を打たれたのも、糸を切った数より多い。
 それも何も、邪険でするのではないのです。……私が、な、まだその前に、鳥羽(とば)(くるわ)に居ました時、……」
「ああ、お前さんは、鳥羽のものかい、志摩だな。」
 と弥次郎兵衛がフト聞入れた。
「いえ、私はな、やっぱりお伊勢なんですけれど、(おとっ)さんが()くなりましてから、継母(ままはは)に売られて行きましたの。はじめに聞いた奉公とは嘘のように違います。――お客の言うことを聞かぬ言うて、(おか)で悪くば海で稼げって、(がけ)の下の船着(ふなつき)から、夜になると、男衆に(つかま)えられて、小船に積まれて海へ出て、月があっても、島の蔭の暗い処を、危いなあ、ひやひやする、木の葉のように浮いて歩行(ある)いて、(しん)とした海の上で……悲しい唄を唄います。そしてお客の取れぬ時は、船頭衆の胸に響いて、女が恋しゅうなる禁厭(まじない)じゃ、お茶挽(ちゃひ)いた罰、と云って、船から海へ、びしゃびしゃと追下ろして、(しお)の干た(いわ)へ上げて、巌の裂目へ俯向(うつむ)けに口をつけさして、(こいし、こいし。){と呼ばせます。若い衆は舳(へさき){に待ってて、声が切れると、栄螺(さざえ){の殻をぴしぴしと打着(ぶッつ){けますの。汐風が濡れて吹く、夏の夜でも寒いもの。……私のそれは、師走から、寒の中(うち){で、八百八島(やしま){あると言う、どの島も皆白い。霜風が凍りついた、巌の角は針のような、あの、その上で、(こいし、こいし。)って、唇の、しびれるばかり泣いている。咽喉(のど)は裂け、舌は凍って、(しお)を浴びた(すそ)から冷え通って、正体がなくなる処を、貝殻で引掻(ひっか)かれて、やっと船で正気が付くのは、(あかり)もない、何の船やら、あの、まあ、鬼の()いた棒見るような帆柱の下から、皮の(こわ)(おおき)な手が出て、引掴(ひッつか)んで抱込みます。
 空には(あお)い星ばかり、海の水は皆黒い。(やみ)の夜の血の池に落ちたようで、ああ、生きているか……千鳥も鳴く、私も泣く。……お恥かしゅうござんす。」
 と(かざ)す扇の利剣に添えて、水のような袖をあて、顔を隠したその風情。人は声なくして、ただ、ちりちりと、蝋燭(ろうそく)(なんだ)白く散る。
 この物語を聞く人々、いかに日和山の頂より、志摩の島々、海の(なぎ)、霞の池に鶴の舞う、あの、麗朗(うららか)なる景色を見たるか。

       十九

「泣いてばかりいますから、気の荒いお船頭が、こんな泣虫を買うほどなら、伊良子崎の海鼠(なまこ)蒲団(ふとん)で、弥島(やしま)烏賊(いか)を遊ぶって、どの船からも投出される。
 また、あの(いわ)に追上げられて、霜風の間々(あいあい)に、(こいし、こいし。){と泣くのでござんす。
 手足は凍って貝になっても、(こいし)と泣くのが本望な。巌の裂目を沖へ通って、海の(はて)まで響いて欲しい。もう船も()ね、潮も来い。……そのままで石になってしまいたいと思うほど、お客様、私は、あの、」
 と乱れた襦袢の袖を(くわ)えた、水紅色(ときいろ)映る(まぶた)のあたり、ほんのりと薄くして、
「心でばかり長い事、思っておりまする人があって。……芸も容色(きりょう)もないものが、生意気を云うようですが、……たとい殺されても、死んでもと、心願掛けておりました。
 ある晩も、やっぱり(あお)い灯の船に買われて、その船頭衆の言う事を()かなかったので、こっちの船へ突返されると、(とも)の処に行火(あんか)(また)いで、どぶろくを飲んでいた、私を送りの若い(しゅ)がな、玉代(ぎょくだい)だけ損をしやはれ、此方衆(こなたしゅう)の見る前で、この女を、海士(あま)にして慰もうと、月の良い晩でした。
 胴の間で着物を脱がして、(はだ)の紐へなわを付けて、(さかさま)に海の深みへ沈めます。ずんずんずんと沈んでな、もう奈落かと思う時、釣瓶(つるべ)のようにきりきりと、身体(からだ)を車に引上げて、髪の(しずく)も切らせずに、また海へ突込(つッこ)みました。
 この時な、その(かか)り船に、長崎辺の伯父が一人乗込んでいると云うて、お小遣(こづかい)の無心に来て、泊込んでおりました、二見から鳥羽がよいの馬車に、馭者(ぎょしゃ)をします、寒中、襯衣(しゃつ)一枚に袴服(ずぼん)穿()いた若い人が、私のそんなにされるのが、あんまり可哀相な、とそう云うて、伊勢へ帰って、その話をしましたので、今、あの申しました。……
 この間までおりました、古市の新地(しんまち)の姉さんが、随分なお金子(かね)を出して、私を連れ出してくれましたの。
 それでな、鳥羽の鬼へも面当(つらあて)に、芸をよく覚えて、立派な芸子になれやッて、姉さんが、そうやって、目に涙を一杯ためて、ぴしぴし(ばち)()ちながら、三味線を教えてくれるんですが、どうした因果か、ちっとも覚えられません。
 人さしと、中指と、ちょっとの間を、一日に三度ずつ、一週間も鳴らしますから、近所隣も迷惑して、御飯もまずいと言うのですえ。
 また月の良い晩でした。ああ、今の御主人が、親切なだけなお辛い。……何の、身体(からだ)の切ない、苦しいだけは、生命(いのち)が絶えればそれで済む。いっそまた鳥羽へ行って、あの(いわ)(つか)まって、(こいし、こいし、)と泣こうか知らぬ、膚の紐になわつけて、海へ入れられるが気安いような、と島も海も目に見えて、ふらふらと月の中を、千鳥が、冥土(めいど)の使いに来て、連れて行かれそうに思いました。……格子(さき)へ流しが来ました。
 新町の月影に、露の垂りそうな、あの、ちらちら光る撥音(ばちおと)で、
……博多帯しめ、筑前絞り――
 と、何とも言えぬ()い声で。
(へい、不調法、お(やかま)しゅう、)って、そのまま()きそうにしたのです。
(ああ、身震(みぶるい)がするほど上手(うま)い、あやかるように拝んで来な、それ、お賽銭(さいせん)をあげる気で。)
 と滝縞(たきじま)お召(めし)半纏(はんてん)着て、灰に袖のつくほどに、しんみり聞いてやった姉さんが、長火鉢の抽斗(ひきだし)からお宝を出して、キイと、あの繻子(しゅす)が鳴る、帯へ(はさ)んだ懐紙に(ひね)って、私に持たせなすったのを、盆に乗せて、戸を開けると、もう一二(けん)行きなさいます。二人の間にある月をな、影で(つな)いで、ちゃっと行って、
是喃(こいし)。)と呼んで、出した盆を、振向いてお取りでした。私や、思わずその手に(すが)って、涙がひとりでに出ましたえ。男で居ながら、こんなにも上手な方があるものを、()めてその指一本でも、私の身体(からだ)についたらばと、つい、おろおろと泣いたのです。
 頬被(ほおかむり)をしていなすった。あのその、私の手を取ったまま――黙って、少し脇の方へ退()いた処で、(何を泣く、)って優しい声で、その門附が聞いてくれます。もう恥も何も忘れてな、その、あの、どうしても三味線の覚えられぬ事を話しました。」

       二十

「よく聞いて、しばらく(じっ)と顔を見ていなさいました。
(芸事の出来るように、神へ願懸(がんがけ)をすると云って、夜の明けぬ内、外へ出ろ。鼓ヶ嶽の裾にある、雑樹林の中へ来い。三日とも思うけれど、主人には、七日と頼んで。すぐ、今夜の明方から。……分ったか。若い女の途中が(あぶな)い、この入口まで来て待ってやる、(ばか)されると思うな、夢ではない。……)
 とお言いのなり、三味線を胸に附着(くッつ)けて、フイと暗がりへ附着いて、黒塀を()きなさいます。……
 その事は言わぬけれど、明方の三時から、夜の白むまで垢離(こり)取って、願懸けすると頼んだら、姉さんは、喜んで、承知してくれました。
 殺されたら死ぬ気でな、――大恩のある御主人の、この格子戸も見納めか、と思うようで、軒下へ出て振返って、(かど)(なが)めて、立っているとな。
(おいで、)
 と云って、突然(いきなり)背後(うしろ)から手を取りなすった、門附のそのお方。
 私はな、よう覚悟はしていたが、天狗様に(さら)われるかと思いましたえ。
 あとは夢やら(うつつ)やら。明方内へ帰ってからも、その(あと)は二日も三日もただ(ぼう)としておりましたの。……鼓ヶ嶽の松風と、五十鈴川の(ながれ)の音と聞えます、雑木の森の暗い中で、その方に教わりました。……舞も、あの、さす手も、ひく手も、ただ背後(うしろ)から背中を抱いて下さいますと、私の身体(からだ)が、舞いました。それだけより存じません。
 もっとも、私が、あの、鳥羽の海へ投入れられた、その身の上も話しました。その方は不思議な事で、私とは(かたき)のような中だ事も、いろいろ入組んではおりますけれど、鼓ヶ嶽の裾の話は、誰にも言うな、と口留めをされました。何んにも話がなりません。
 五日目に、もう可いから、これを舞って座敷をせい。芸なし、とは言うまい、ッて、お記念(かたみ)なり、しるしなりに、この舞扇を下さいました。」
 と袖で胸へしっかと抱いて、ぶるぶると肩を震わした、後毛(おくれげ)がはらりとなる。
 捻平溜息(ためいき)をして(うなず)き、
「いや、よく分った。教え方も、習い方も、話されずとよく分った。時に、山田に居て、どうじゃな、その舞だけでは勤まらなんだか。」
「はい、はじめて(うた)いました時は、(みんな)が、わっと笑うやら、中には(おそろし)(こわ)いと云う人もござんす。なぜ言うと、五日ばかり、あの私がな、天狗様に誘い出された、と風説(うわさ)したのでござんすから。」
「は、いかにも師匠が魔でなくては、その立方は習われぬわ。むむ、で、何かの、伊勢にも(うたい)うたうものの、五人七人はあろうと思うが、その連中には見せなんだか。」
「ええ、物好(ものずき)に試すって、呼んだ方もありましたが、地をお謡いなさる方が、何じゃやら、ちっとも、ものにならぬと言って、すぐにお()めなさいましたの。」
「ははあ、いや、その足拍子を入れられては、やわな(うたい)(ちぎ)れて飛ぶじゃよ。ははははは、(うな)る連中粉灰(こっぱい)じゃて。かたがたこの桑名へ、住替えとやらしたのかの。」
「狐狸や、いや、あの、()えて飛ぶ処は、(ふくろ)憑物(つきもの)がしよった、と皆気違(きちがい)にしなさいます。姉さんも、手放すのは可哀相や言って下さいましたけれど、……周囲(まわり)の人が承知しませず、……この桑名の島屋とは、(ゆき)かいはせぬ遠い中でも、姉さんの縁続きでござんすから、預けるつもりで寄越(よこ)されましたの。」
「おお、そこで、また辛い(おもい)をさせられるか。まずまず、それは後でゆっくり聞こう。……そのお()(わし)同一(おんなじ)じゃ。天魔でなくて、若い女が、(わざ)をするわと、仰天したので、手を留めて済まなんだ。さあ、立直して舞うて下さい。大儀じゃろうが一さし頼む。(わし)(ひさし)ぶりで可懐(なつか)しい、御身(おんみ)の姿で、若師匠の御意を得よう。」
 と(ことば)(うち)に、膝で解く、その風呂敷の中を見よ。土佐の名手が(えが)いたような、(あか)調(しらべ)立田川(たつたがわ)、月の裏皮、表皮。玉の(きぬた)を、打つや、うつつに、天人も聞けかしとて、雲井、と(めい)ある秘蔵の塗胴(ぬりどう)(おい)手捌(てさば)き美しく、(にしき)()を、投ぐるよう、さらさらと緒を()めて、火鉢の火に高く(かざ)す、と……呼吸(いき)をのんで驚いたように見ていたお千は、思わず、はっと両手を()いた。
 芸の威厳は争われず、この捻平を誰とかする、七十八歳の(おきな)、辺見秀之進。近頃孫に()を譲って、雪叟(せっそう)とて隠居した、小鼓取って、本朝無双の名人である。
 いざや、小父者(おじご)は能役者、当流第一の老手、恩地源三郎、すなわちこれ。
 この二人は、侯爵(こうしゃく)津の(かみ)が、参宮の、仮の(やかた)に催された、一調の番組を勤め済まして、あとを膝栗毛で帰る途中であった。

       二十一

 さて、饂飩屋(うどんや)では門附の兄哥(あにい)が語り次ぐ。
「いや、それから、いろいろ勿体つける所作があって、やがて大坊主が謡出(うたいだ)した。
 聞くと、どうして、思ったより出来ている、按摩(はり)の芸ではない。……戸外(おもて)をどッどと吹く風の中へ、この声を打撒(ぶちま)けたら、あのピイピイ笛ぐらいに(まと)まろうというもんです。成程、随分夥間(なかま)には、此奴(こいつ)に(的等。)扱いにされようというのが少くない。
 が、私に取っちゃ小敵(しょうてき)だった。けれども芸は大事です、(あなど)るまい、と気を()めて、そこで、膝を。」
 と坐直(すわりなお)ると、肩の按摩が上へ浮いて、門附の衣紋(えもん)(しま)る。
「……この膝を(ちょう)と叩いて、黙って二ツ三ツ拍子を取ると、この拍子が尋常(ただ)んじゃない。……親なり師匠の叔父きの膝に、小児(こども)の時から、抱かれて習った相伝だ。対手(あいて)の節の隙間を切って、伸縮(のびちぢ)みを()めつ、緩めつ、声の重味を刎上(はねあ)げて、咽喉(のど)の呼吸を突崩す。寸法を知らず、間拍子の分らない、まんざらの素人は、盲目聾(めくらつんぼ)で気にはしないが、ちと商売人の端くれで、いささか心得のある対手(あいて)だと、トンと一つ打たれただけで、もう声が引掛(ひっかか)って、節が不状(ぶざま)蹴躓(けつまず)く。三味線の(あい)同一(おんなじ)だ。どうです、意気なお方に釣合わぬ……ン、と一ツ()ねないと、野暮な矢の字が、とうふにかすがい、(ぬか)に釘でぐしゃりとならあね。
 さすがに心得のある奴だけ、商売人にぴたりと一ツ、拍子で声を押伏(おっぷ)せられると、張った調子が直ぐにたるんだ。思えば余計な若気の過失(あやまち)、こっちは畜生の浅猿(あさま)しさだが、対手(あいて)は素人の悲しさだ。
 あわれや宗山。見る内に、額にたらたらと()と汗を流し、死声(しにごえ)を振絞ると、(あご)から胸へ(あぶら)を絞った……あのその大きな唇が海鼠(なまこ)を干したように乾いて来て、舌が(こわ)って呼吸(いき)発奮(はず)む。わなわなと震える手で、畳を(つか)むように、うたいながら猪口(ちょこ)を拾おうとする処、ものの本をまだ一枚とうたわぬ(さき)、ピシリとそこへ高拍子を打込んだのが、下腹(したっぱら)へ響いて、ドン底から節が抜けたものらしい。
 はっと火のような呼吸(いき)を吐く、トタンに真俯向(まうつむ)けに突伏(つッぷ)す時、長々と舌を吐いて、犬のように畳を()めた。
(先生、御病気か。)
 って私あ莞爾(にっこり)したんだ。
(是非聞きたい、平にどうか。宗山、この上に(つんぼ)になっても、貴下(あなた)のを一番、聞かずには死なれぬ。)
 と(こぶし)を握って、せいせい言ってる。
(按摩さん。)
 と私は呼んで、
(尾上町の藤屋まで、どのくらい離れている。)
(何んで、)
 と聞く。
(間によっては声が響く。内証で来たんだ。……藤屋には私の声が聞かしたくない、叔父が一人寝てござるんだ。勇士は霜の気勢(けはい)を知るとさ――たださえ目敏(めざと)老人(としより)が、この風だから寝苦しがって、フト起きてでもいるとならない、祝儀は置いた。帰るぜ。)
 ト宗山が、(じっ)(ふさ)いだ目を、ぐるぐると動かして、
(しばら)く、今の拍子を打ちなされ……古市から尾上町まで声が聞えようか、と言いなされる、御大言、年のお(わか)さ。まだ一度(ひとたび)も声は聞かず、顔はもとより見た事もなけれども……当流の大師匠、恩地源三郎どの養子と聞く……同じ喜多八氏の外にはあるまい。さようでござろう、恩地、)
 と私の名をちゃんと言う。
 ああ、酔った、」
 と杯をばたりと落した。
饒舌(しゃべ)って悪い私の名じゃない。叔父に済まない。二人とも、誰にも言うな。……」
 と鷹揚(おうよう)で、按摩と女房に目をあしらい。
「私は羽織の裾を払って、
(違ったような、当ったようだ、が、何しろ、東京の的等の一人だ。宗家の宗、本山の山、宗山か。若布(わかめ)の附焼でも土産に持って、東海道を()い上れ。恩地の台所から音信(おとず)れたら、叔父には内証で、居候の腕白が、独楽(こま)を廻す片手間に、この浦船でも教えてやろう。)
 とずっと立つ。

       二十二

「痘瘡(あばた)の中に白眼(しろまなこ)()いて、よたよたと立上って、(いきどお)った声ながら、
可懐(なつかし)いわ、若旦那、盲人の悲しさ顔は見えぬ。触らせて下され、つかまらせて下され、一撫(ひとな)で、撫でさせて下され。)
 と言う。
 いや、撫られて(たま)りますか。
 摺抜(すりぬ)けようとするんだがね、六畳の狭い座敷、盲目(めくら)でも自分の(うち)だ。
 素早く、階子段(はしごだん)の降口を(ふさ)いで、むずと、大手を拡げたろう。……影が天井へ(かか)って、充満(いっぱい)の黒坊主が、汗膏(あせあぶら)を流して撫じょうとする。
 いや、その嫉妬(しっと)執着(しゅうぢゃく)の、険な不思議の形相が、今もって忘れられない。
可厭(いや)だ、可厭だ、可厭だ。)と、こっちは夢中に出ようとする、よける、留める、行違うで、やわな、かぐら堂の二階中みしみしと鳴る。風は轟々(ごうごう)と当る。ただ黒雲に()かれたようで、可恐(おそろ)しくなった、(すご)さは凄し。
 ()と、引潜(ひっくぐ)って、ドンと飛び摺りに、どどどと()け下りると、ね。
(そで)や、止めませい。)
 と宗山が二階で(わめ)いた。皺枯声(しわがれごえ)が、風でぱっと耳に当ると、三四人立騒ぐ女の中から、すっと美しく姿を抜いて、格子を開けた門口(かどぐち)で、しっかり(つか)まる。吹きつけて()む風で、(さっ)(あか)(つま)(から)むように、私に(すが)ったのが、結綿(ゆいわた)の、その娘です。
 背中を揉んでた、薄茶を出した、あの影法師の(めかけ)だろう。
 ものを言う(すずし)い、(はり)のある目を上から見込んで、構うものか、行きがけだ。
(可愛い人だな、おい、殺されても死んでも、人の玩弄物(おもちゃ)にされるな。)
 と言捨てに突放(つッぱな)す。
(あれ。)と云う声がうしろへ、ぱっと吹飛ばされる風に向って、砂塵(しゃじん)の中へ、や、躍込むようにして一散に()けて返った。
 (のち)に知った、が、妾じゃない。お袖と云うその可愛いのは、宗山の娘だったね。それを娘と知っていたら、いや、その時だって気が付いたら、按摩が親の仇敵(かたき)でも、(わっし)あ退治るんじゃなかったんだ。」
 と不意にがッくりと胸を折って俯向(うつむ)くと、按摩の手が、肩を(すべ)って、ぬいと越す。……その袖の陰で、取るともなく、落した杯を探りながら、
「もしか、按摩が尋ねて来たら、堅く()らん、と言え、と宿のものへ吩附(いいつ)けた。叔父のすやすやは、上首尾で、並べて取った床の中へ、すっぽり入って、引被(ひっかぶ)って、(いい)心持に寝たんだが。
 ああ、寝心の()い思いをしたのは、その晩きりさ。
 なぜッて、宗山がその夜の(うち)に、私に(はずかし)められたのを口惜(くや)しがって、傲慢(ごうまん)な奴だけに、ぴしりと、もろい折方、憤死してしまったんだ。七代まで流儀に(たた)る、と手探りでにじり(がき)した遺書(かきおき)を残してな。死んだのは鼓ヶ嶽の裾だった。あの広場(ひろっぱ)の雑樹へ(さが)って、()が明けて、やッと小止(こやみ)になった風に、ふらふらとまだ動いていたとさ。
 こっちは何にも知らなかろう、風は()ぐ、天気は(よし)。叔父は一段の上機嫌。……古市を立って二見へ行った。朝の(うち)、朝日館と云うのへ入って、いずれ泊る、……先へ鳥羽へ行って、ゆっくりしようと、直ぐに車で、上の山から、日の出の下、二見の浦の上を通って、日和山を桟敷(さじき)に、山の上に、海を青畳(あおだたみ)にして二人で半日。やがて朝日館へ帰る、……とどうだ。
 旅籠(はたご)の表は黒山の人だかりで、内の廊下もごった返す。大袈裟(おおげさ)な事を言うんじゃない。伊勢から私たちに逢いに来たのだ。按摩の変事と遺書(かきおき)とで、その日の内に国中へ知れ渡った。別にその事について文句は申さぬ。芸事で宗山の(とどめ)を刺したほどの(えら)い方々、是非に一日、山田で(うたい)が聞かして欲しい、と羽織袴(はおりはかま)、フロックで押寄せたろう。
 いや、叔父が怒るまいか。日本一の不所存もの、恩地源三郎が申渡す、向後一切(いっせつ)、謡を口にすること罷成(まかりな)らん。立処(たちどころ)に勘当だ。さて宗山とか云う盲人、(おの)不束(ふつつか)なを知って屈死した心、かくのごときは芸の上の鬼神(おにがみ)なれば、自分は、葬式(とむらい)送迎(おくりむかい)、墓に謡を手向きょう、と人々と約束して、私はその場から追出された。
 あとの事は何も知らず、その時から、津々浦々をさすらい歩行(ある)く、門附の果敢(はかな)い身の上。」

       二十三

「名古屋の大須の観音の裏町で、これも浮世に別れたらしい、三味線一挺(ちょう)、古道具屋の店にあったを工面(くめん)したのがはじまりで、一銭二銭、三銭じゃ木賃で泊めぬ()も多し、日数をつもると野宿も半分、京大阪と()めぐって、西は博多まで行ったっけ。
 何んだか伊勢が気になって、妙に急いで、逆戻りにまた来た。……
 私が言ったただ一言(ひとこと)、(人のおもちゃになるな。)と言ったを、生命(いのち)がけで守っている。……可愛い娘に逢ったのが一生の思出(おもいで)だ。
 どうなるものでもないんだから、早く影をくらましたが、四日市で煩って、女房(おかみ)さん。」
 と呼びかけた。
「お前さんじゃないけれど、深切な人があった。やっと足腰が立ったと思いねえ。上方筋は何でもない、間違って謡を聞いても、お百姓が、(風呂が沸いた)で竹法螺(たけぼら)吹くも同然だが、(あずま)へ上って、箱根の山のどてっぱらへ手が(かか)ると、もう、な、江戸の鼓が響くから、どう我慢がなるものか! うっかり謡をうたいそうで危くってならないからね、今切(いまぎれ)は越せません。これから大泉原(おおいずみはら)員弁(いなべ)阿下岐(あげき)をかけて、大垣街道。岐阜へ出たら飛騨越(ひだごえ)で、北国(ほっこく)筋へも廻ろうかしら、と富田近所を三日稼いで、桑名へ来たのが昨日(きのう)だった。
 その今夜はどうだ。不思議な人を二人見て、遣切れなくなってこの(うち)へ飛込んだ。が、(ながし)の笛が身体(からだ)(ささ)る。いつもよりはなお激しい。そこへまた影を見た。美しい影も見れば、可恐(おそろ)しい影も見た。ここで按摩が殺す気だろう。構うもんか、勝手にしろ、似たものを(ひき)つけて、とそう覚悟して按摩さん、背中へ(つかま)ってもらったんだ。
 が、筋を抜かれる、身を※(「てへん+劣」)(むし)られる、私が五体は裂けるようだ。」
 とまた差俯向(さしうつむ)く肩を越して、按摩の手が、それも物に震えながら、はたはたと(おのの)きながら、背中に獅噛(しが)んだ(つら)附着(くッつ)く……門附の(あわせ)()せた色は、膚薄(はだうす)な胸を透かして、動悸(どうき)が筋に映るよう、あわれ、博多の柳の姿に、土蜘蛛(つちぐも)一つ(から)みついたように(すご)く見える。
「誰や!」
 と、不意に吃驚(びっくり)したような女房の声、うしろ見られる神棚の(ともし)も暗くなる端に、べろべろと紙が濡れて、(かど)の腰障子に穴があいた。それを見咎(みとが)めて一つ(わめ)く、とがたがたと、跫音(あしおと)高く、()退()いたのは御亭どの。
 いや、困った親仁(おやじ)が、一人でない、薪雑棒(まきざっぽう)棒千切(ぼうちぎ)れで、二人ばかり、若いものを連れていた。

「御老体、」
 雪叟が小鼓を()めたのを見て……こう言って、恩地源三郎が儼然(げんぜん)として顧みて、
「破格のお附合い、(おそれ)多いな。」
 と膝に扇を取って会釈をする。
「相変らず未熟でござる。」
 と雪叟が礼を返して、そのまま座を下へおりんとした。
「平に、それは。」
「いや、蒲団の上では、お流儀に失礼じゃ。」
「は、その娘};の舞が、甥(おい)の奴の&ruby(おもかげ){俤()ゆえに、遠慮した、では私も、」
 と言った時、左右へ、敷物を(ひと)しく()ねた。
「嫁女、嫁女、」
 と源三郎、二声呼んで、
「お三重さんか、私は嫁と思うぞ。喜多八の叔父源三郎じゃ、(あらた)めて一さし舞え。」
 二人の名家が(きっ)と居直る。
 瞳の動かぬ気高い顔して、恍惚(うっとり)と見詰めながら、よろよろと引退(ひきさが)る、と黒髪うつる藤紫、肩も(かいな)嬌娜(なよやか)ながら、袖に構えた扇の利剣、霜夜に声も凜々(りんりん)と、
「……引上げたまえと約束し、一つの利剣を抜持って……」
 肩に(あや)なす鼓の手影、雲井の胴に光さし、(つや)が添って、名誉が()めた心の花に、調(しらべ)の緒の色、(さっ)と燃え、ヤオ、と一つ声が(かか)る。
「あっ、」
 とばかり、(きっ)と見据えた――能楽界の鶴なりしを、雲隠れつ、と(おし)まれた――恩地喜多八、饂飩屋の床几(しょうぎ)から、()と片足を土間に落して、
「雪叟が鼓を打つ! 鼓を打つ!」と身を()んだ、胸を()めて、(あわただ)しく取って(おお)うた、手拭に、かっと血を吐いたが、かなぐり棄てると、右手(めて)(つか)んで、按摩の手をしっかと取った。
(たた)らば、祟れ、さあ、按摩。湊屋の(かど)まで来い。もう一度、若旦那が聞かしてやろう。」
 と、引立(ひった)てて、ずいと出た。
「(源三郎)……かくて竜宮に至りて宮中を見れば、その高さ三十丈の玉塔に、かの玉をこめ(おき)、香(こうげ)を備え、守護神は八竜並居(なみい)たり、その外悪魚鰐(わに)の口、(のが)れがたしや(わが)命、さすが恩愛の故郷(ふるさと)のかたぞ恋しき、あの浪のあなたにぞ……」
 その時、(みなぎ)る心の(はり)に、島田の元結(もとゆい)ふッつと切れ、肩に崩るる緑の黒髪。水に乱れて、灯に(ゆら)めき、畳の海は(もすそ)に澄んで、(ちり)(とど)めぬ舞振(まいぶり)かな。
「(源三郎)……我子(わがこ)()らん、父大臣もおわすらむ……」
 と声が(かす)んで、源三郎の()謡う節が、フト途絶えようとした時であった。
 この湊屋の門口で、(さわやか)に調子を合わした。……その声、白き(にじ)のごとく、()と来て、お三重の姿に()した。
「(喜多八)……さるにてもこのままに別れ(はて)なんかなしさよと、涙ぐみて立ちしが……」
「やあ、大事な処、倒れるな。」
 と源三郎すっと座を立ち、よろめく三重の(せな)を支えた、(おい)(かいな)女浪(めなみ)の袖、この後見の大磐石に、みるの緑の黒髪かけて、(さっ)(かざ)すや舞扇は、銀地に、その、雲も恋人の影も立添う、光を放って、(ともしび)(しら)めて舞うのである。
 舞いも舞うた、謡いも謡う。はた雪叟が自得の秘曲に、桑名の海も、トトと大鼓(おおかわ)の拍子を添え、川浪近くタタと鳴って、太鼓の(ひびき)(みぎわ)を打てば、多度山(たどさん)の霜の頂、月の御在所ヶ(たけ)の影、鎌ヶ嶽、(かむり)ヶ嶽も冠着て、客座に並ぶ気勢(けはい)あり。
 小夜(さよ)更けぬ。町()てぬ。どことしもなく虚空(おおぞら)に笛の聞えた時、恩地喜多八はただ一人、湊屋の軒の蔭に、姿蒼};く、影を濃く立って謡うと、月が棟高く廂(あお)を照らして、渠(ひさし)の&ruby(おもて){面(かれ)に、扇のような光を投げた。舞の扇と、うら表に、そこでぴたりと合うのである。
「(喜多八)……また思切って手を合せ、南無(なむ)志渡寺(しどじ)の観音薩※(「土へん+垂」(さった)の力をあわせてたびたまえとて、大悲の利剣を額にあて、竜宮に飛び入れば、左右へはっとぞ退()いたりける、」
 と謡い澄ましつつ、
(せな)を貸せ、宗山。」と言うとともに、恩地喜多八は疲れた(さま)して、先刻(さっき)からその裾に、大きく何やら(うずく)まった、形のない、ものの影を、腰掛くるよう、取って引敷(ひっし)くがごとくにした。
 路一筋白くして、掛行燈(かけあんどん)の更けたかなたこなた、杖を()いた按摩も交って、ちらちらと人立ちする。
明治四十三(一九一〇)年一月





底本:「泉鏡花集成6」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年3月21日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集」岩波書店
   1942(昭和17)年7月刊行開始
※底本で句点が抜けている箇所は親本を参照して補いました。
※誤植を疑った箇所はちくま日本文学全集を参照しました。
入力:門田裕志
校正:砂場清隆
2002年1月9日公開
2005年9月25日修正
青空文庫作成ファイル: