メンタル体 気づき:秘教の科学5:町の按摩さん.com

秘教の科学5

 

  1. はじめに 切望と緊張
  2. 沈黙の開花
  3. エーテル体 愛
  4. アストラル体 欲望
  5. メンタル体 気づき
  6. スピリチュアル体 自己知(存在、意識、至福)
  7. コズミック体 宇宙的無個人
  8. ニルヴァーナ体 非存在 無

 




メンタル体 気づき



第四身体はメンタル体だ。
アストラル体に欲望があるのと同じように、メンタル体には思考がある。
否定的思考やそれらの群れ全体、全体としてそれ自身を主張する各々の思考や、あたかも全体であるかのようにあなたを支配する各々の思考。
そこで第四身体の緊張は思考によって作り出される。
思考なしで存在すること…眠らず、無意識にならず、しかし思考のない意識を持って…は第四身体の健康であり幸福だ。
しかしどうやって意識を持って思考を持たずにいられるのか?


メンタル体 気づき:秘教の科学5:町の按摩さん.com



毎瞬新しい思考は作られている。
毎瞬あなたの過去の何かは、現在のそれと戦うためにやって来る。
あなたは共産主義者だった。
そして今やあなたはカトリック教徒で、何か他のものを信じている。
しかし過去は未だそこにある。
あなたはカトリック教徒になることはできるが、あなたの共産主義を投げ捨てることはできない。
それはあなたの中に残る。
あなたは思考を変えることはできるが、しまい込んだ思考は常にそこで待っている。
あなたは忘れ去ることはできない。
それらはあなたの奥深くに届き、無意識に入り込む。
それらはあなたがしまい込んでしまったが故に、あなたの前に姿を現さない。
しかしそれはそこに残り、機会をうかがっている。
そしてその機会は来るだろう。
24時間の間でさえ、あなたは再び共産主義者になり、そしてまた力トリック教徒になる。
これは果てしなく続き、行きつ戻りつし、その結果全体が混乱になつてしまう。
だからメンタル体にとっての緊張は混乱を意味する。
…否定的思考、否定的経験、否定的期待…そして最終的に混乱したマインドになる。



混乱したマインドは、混乱を超えようとすればするほどもっと混乱するようになる。
なぜなら、混乱した状態から、混乱のない状態へなど達することはできないからだ。
あなたは混乱している。
精神的探求はあなたの混乱に新たな次元をつくり出す。
他のすべての混乱が依然としてそこにあるまま、新たな混乱がまた付け加えられる。
あなたはこのグル(導師)に会い、次にあのグルに会い、さらにまた次のグル、そして各々のグルはあなたに新しい混乱を運んでくる。
古い混乱はそのままそこにあり、新しい混乱がそこに付け加えられる。
あなたはまるで精神病院だ。
そしてこれが第四身体に、メンタル体に起こることだ。
さあ核心だ、この混乱が緊張なのだ。



どうやったら混乱を終わらせることができるだろうか?
あるひとつの考えを、他の考えの方が好きだからといって否定しない時、何ひとつ否定しない時だけ…もし宗教が好きだからといって共産主義を否定しないなら、もし無神論が好きだからといって神を否定しないなら、あなたは混乱を終わらせることができる。
もし考えることをすべて受け入れるなら、そこに混乱がつくられるべき選択の機会はまったくなく緊張は消え失せる。
もしあなたが選択し続けるのなら、あなたはあなた自身に緊張をつけくわえ続けることになるだろう。



気づきは無選択であるべきだ。
あなたは自分の思考プロセス全体、混乱全体に気づいていなけれぱならない。
あなたが気づいた瞬間それらすべてが混乱なのだと知るだろう。
選択すべきことは何もない。
選択で築き上げた家全体が捨てられなければならない。
一度それがただの混乱だと知ったら、その家はいつでも捨て去ることができる。
それを捨てることには何の問題もない。



だから、あなたのマインド全体に気づき始めなさい。
選ばずに無選択でいなさい。
「私は無神論者だ」とか「有神論者だ」とか言わないこと。
あなたが時には無神論者、時には有神論者、時にはクリスチャン、時には共産主義者、時には聖者、時には罪人であることにただ気づきなさい。
あなたは時にはある観念が気に入り、時には他の観念が気に入るが、これらはすべて気まぐれだ。


メンタル体 気づき2:秘教の科学5:町の按摩さん.com



完全にそれに気づいていなさい。
自分のマインドのプロセス全体に気づくようになったまさにその瞬間が、無自己の瞬間だ。
その時あなたはマインドによって自己同一化していない。
初めてあなたは意識として、マインドとしてではなく自分を知る。
マインド自身はあなたにとって対象になってゆく。
他の人々や部屋の家具に気づくのと同じように、あなたはマインドに、精神作用のプロセスに気づくようになってゆく。
今やあなたはこの気づき…マインドによって自己認識されていない気づきそのものなのだ。



第四身体、メンタル体のむずかしさは、私たちがマインドによって自己認識しているという点にある。
例えばあなたの体が病気の時、誰かが「あなたは病気だ」と言ったとしても、あなたは感情を傷つけられたとは思わないだろう。
だがもしあなたのマインドが病気で、誰かが「あなたのマインドは病んでいる」、「あなたは狂っているのではないか」と言ったならあなたは傷つく。
なぜだろうか。


メンタル体 気づき3:秘教の科学5:町の按摩さん.com



誰かが「あなたの体は病気のようだ」と言う時、あなたは彼が自分に同情しているような感じがする。
だがもし誰かが精神的な病気について何かを言うとしたら、例えばあなたはマインドに関する限り常軌を逸している、精神病だ、などと言うとしたら、体よりマインドに深く自己同一化している故にあなたは怒り出すだろう。


あなたは自分自身がこの肉体そのものではないと感じることもできるし、「これは私の手だ」と言うこともできる。
しかし「これが私のマインドだ」と言うことはできない。
なぜなら、あなたは「私のマインドは私そのものだ」と考えているのだから。
もし私があなたの肉体を手術したいと思ったらあなたはオーケーするだろう。
だがあなたのマインドを手術することには同意しない。
あなたは「いいや、これはあんまりだ。私の自由は失われてしまう!」と言うだろう。
マインドはとても深く自己同一化されている。
それが私たちだ。
私たちはそれを超える何ものも知らないので、それによって自己認識しているのだ。


私たちは肉体を超えた何を知っている。
それはマインドだ。
だから肉体で自己認識しない可能性が存在する。
しかし私たちはマインドを超えた何ものも知らない。
あなたが思考に気づくようになった時だけ、マインドがただのプロセスで、蓄積でしかないことを知るようになるだろう。
それは機械装置、倉庫、過去の経験を処理する装置、過去に学んだもの、過去の知識だ。それはあなたではない。
あなたはそれなしで存在できる。
マインドは操作できるし、変えることもできる。
それはあなたから投げ出され得るのだ。



そして今や新しい可能性がそこにはある。
いつかあなたのマインドさえ、誰か他の人に移されることが可能になるだろう。
心臓が移植されるように、遅かれ早かれ記憶が他人に移植されるようになる。
その時死んでいく人は完全には死なない。
少なくとも彼の記憶は守られ、新しい子供に移されることができる。
そしてその子供はその人の記憶全体を得、自分が通過しなかった経験について語るだろう。
死んだ男が知っていたことは何であれ、その子供は知っている。
なぜならその男のマインド全体が彼に与えられているからだ。


メンタル体 気づき4:秘教の科学5:町の按摩さん.com



これは危険な感じがするので私たちはそれを認めないだろう。
なぜなら私たちのアイデンティティが失われてしまうかも知れないからだ。
私たちはマインドなのだ!
しかし私にとってその可能性は大きな力となりうる。
新しい人間性がそこから生まれ出てくるかもしれない。
私たちはマインドが自分自身ではないが故に、マインドに気づくことができる。
それは「私」ではない。
マインドは腎臓が私の体の一部であるのと同じように存在する。
新しい腎臓が与えられ、何の変わりもなくなおも同じ人間であるように、移植されたマインドを持って、何の変化もなく生き続けることもできるのだ。
古いままの私であり続けることもできるが、新しいマインドを加えて生きることもできる。
マインドも機械装置なのだ。
しかし、私たちの自己認識がマインドによるために緊張は作られる。


第四身体にとっては気づきは健康で、気づきのない状態が病気なのだ。
気づきには緊張がなく、気づきのない状態が緊張なのだ。
思考の為に、それによるあなたの自己同一化の為に、あなたは思考の中で生き続け、あなたとあなたの実存的存在との間に壁が作られる。
あなたの手の届くところに花はある。
しかしあなたがそれについて考えるために、決してその花自体を知るには至らないだろう。
その花は死に、あなたはそれについて考え続けるだろう。
考えることは、あなたとあなたの経験の間に薄い膜、透明な、しかしそれほど透明ではない、ただの幻影でしかないものを作り出してきた。



例えばあなたは私の話を聞いている。
しかしそれは、本当にあなたが聞いているのではないのかも知れない。
もしあなたが私の言っていることについて考えているのなら、あなたは聞くのをやめている。
その時あなたは前行ったり、後ろに行ったりしている。
あなたは私と共にいないのだ。
あなたがマインドで繰り返している過去であれ、過去を通した未来の投影であれ、それは私の言っていることではない。
あなたは私の言ってきたことを、ただ言葉通りに繰り返すこともできる。
あなたのメカニズムはそれを記録している。
それは私が言ってきたことを繰り返すことができ、再生することができる。
あなたは「もし、私があなたを聞いていないのなら、どうやって再生できるのか」と主張するかも知れない。
しかしテープレコーダーは私を聞いていない。
あなたのマインドはまるで機械のように働き続けるだろう。
あなたは存在しているかも知れないし、していないかも知れない。
あなたは必要とされていないのだ。
あなたは考え続けることもできるし、聞き続けることもできる。
マインド…第四身体、メンタル体…は防壁になる。


メンタル体 気づき5:秘教の科学5:町の按摩さん.com



あなたとそこにあるものの間には防壁がある。
あなたが触れようとする瞬間、あなたは経験から遠ざかってしまう。
あなたが見ようとする瞬間、あなたは遠ざかる。
私は私の手であなたの手をとる。
これが実存的なことだ。
あなたはそこにいないかも知れない。
その時あなたは見失う。
あなたは知っている…あなたは触れ、経験した…しかしあなたは思考の
中にいた。


第四身体では、人は全体としてとらえた思考のプロセスに気づかなければならない。
選ぶことなく、決定することなく、判断することなく、ただそれに気づいていなさい。
もしあなたが気づくようになれば、自己同一化しなくなるだろう。
そして、マインドというメカニズムで自己同一化しないことが緊張のない状態なのだ。