ニルヴァーナ体 非存在 無:秘教の科学8:町の按摩さん.com

秘教の科学8

 

  1. はじめに 切望と緊張
  2. 沈黙の開花
  3. エーテル体 愛
  4. アストラル体 欲望
  5. メンタル体 気づき
  6. スピリチュアル体 自己知(存在、意識、至福)
  7. コズミック体 宇宙的無個人
  8. ニルヴァーナ体 非存在 無

 




ニルヴァーナ体 非存在 無



第七身体はニルヴァーナ体だ。
第七身体の緊張は存在と非在との間にある。
第六で探求者は自分自身を失う。
彼は存在する…個人としてではなく宇宙的存在として。
存在はそこにある。
第六で止まる哲学や体系がある。
それらは神やモクシャ、自由で止まる。
第七は存在さえ非存在の中へ失うことを意味するのだ。
それは自分自身を失うことではない。
それはただ失うことだ。
実存は非存在となる。
その時あなたはすべての存在が出てきて、その中へと帰って行く最初の源泉にたどり着く。
存在はそれから出て来た。
非存在はそれに帰って行く。


ニルヴァーナ体 非存在 無:秘教の科学8:町の按摩さん.com



存在それ自身は形相に過ぎない。
それは帰らなければならない。
ちょうど昼が来て夜になり、夜が来て昼が続くように。
存在が来て非存在が続き、非存在が来て存在が続くのだ。
もし人が完全に知るようになったならば、彼は非存在から逃げてはならない。
もし彼が完全な環を知るようになったなら、彼は非存在にならなければならない。


コズミック体でさえ完全ではない。
なぜならば非存在はそれを超えているからだ。
だから神でさえ完全ではない。
神はブラーフマのただの部分でしかない。
神はブラーフマンそれ自身でない。
ブラーフマンはすべての光と闇が結びつけられ、生と死が結びつけられ、存在と非存在が結びつけられているという意味だ。
神は死ではない。
神は生命でしかない。
神は非存在ではない。
神はただの存在だ。
神は闇ではない。
神はただの光だ。
彼は完全なる存在のただの部分であり完全ではない。


全体を知ることは無になることだ。
無だけが全体性を知ることができる。
全体性は無であり、無だけが全体性なのだ…第七身体にとっては。






だから、これらは生理学的身体に始まる七つの身体の緊張なのだ。
もしあなたが生理的緊張を理解し、その開放とその至福を理解したならば、あなたは簡単に七つの身体すべてに進むことができる。
第一身体にくつろぐことの理解は、第ニヘの踏み台になる。
そしてもし第二について何か理解するならば、緊張のない工ーテル体の瞬間を感じるならば、その時あなたは第三への一歩を踏み出す。


各々の身体の中でもしあなたが幸福で始めるなら、次の身体への扉は自動的に開く。
しかしもしあなたが第一身体で挫折した場合、次の扉を開くことはとても難しくなる、不可能にさえなる。


だから第一身体で始め、他の六つの身体について全く考えないように。
肉体で徹底的に生きなさい。
そうすればあなたは突然新しい扉が開くのを知るだろう。
その時こそ先に進みなさい。
だが絶対に他の身体のことを考えてはいけない。
さもないとそれは妨げになるだろうし、緊張を生み出すだろう。


だから、私が言ってきたことは何であれ…

…忘れてしまいなさい!



OSHO『THE PSYCHOLOGY OF THE ESOTERIC 秘教の科学』
第八章「BECOMIG AND BEING」 了