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按摩古典書「導引口訣鈔」を読む1:成り立ちと手技

参考
「導引口訣鈔」(京都大学電子図書館)
・「導引口訣鈔」大黒貞勝/編著 谷口書店
・「按摩技術に関する歴史的考察―近世における三文献から―」和久田哲司
・「江戸時代按摩手技の文献的考察」長尾榮一
・「和漢三才図絵」 国会図書館デジタルアーカイブ

成り立ち

導引口訣鈔 序(現代語訳)

無病長命となり、諸人の苦しみを救わんと願うのならば、 専ら導引按摩しなさい。
とはいえ、正しい教えを受けることがなければ、良い効果には至り難い。
その為、古今導引集を撰び、その要点を記すこととした。
読誦して工夫しなさい。

心得した上で手により働きかける術(わざ)なので、 詳しく述べることは出来ない。
今、ここに先師大久保道古が長崎にて明の澄相公より伝授された言葉をやさしく綴り、 いささかなりとも初学の者の為としたい。
僅かなりとも道しるべとなることを願う。
後に続く者がこの術に通暁して鍼灸、薬も及ばない病を救い、 寿命が千歳にも延びる者があれば、それこそ私が願うところだ。

宝永の頃早苗月、武江の侠客 養陽子
筆を普齋の益壽軒にて染める


本書冒頭にはこのように記されています。

古今導引集を著したのは、本書「導引口訣鈔」著者・宮脇仲策の師・大久保道古。
大黒貞勝編著「導引口訣鈔」の註によれば

大黒貞勝編著「導引口訣鈔」註より

ここに古今導引集とあるのはおかしい。
本書は同学の大久保道古の書でその内容は導引口訣鈔と殆ど同様のものであり、 更に一愚子著「導引秘傳伝指南鈔」があり、この方は口訣鈔と同一のものである。

とあり、この冒頭での古今導引集の著述が間違っていることを指摘しています。
確かに、導引口訣鈔の序で突然「古今導引集を撰んで、其の要をあらわす」という文章は、文脈上からもおかしいように思えますし、ぼく自身も疑問に思っていました。
ですが、長尾榮一著「江戸時代按摩手技の文献的考察」に

長尾榮一著「江戸時代按摩手技の文献的考察」より

本書は、中国の古法按摩を体得している明の澄相公および大久保道古 (澄相公の教えを受けた)の影響を受けている。
1707(宝永4)年に著された『古今導引集』(大久保道古編集、宮脇仲策同校) は本書の総論にあたり、按摩の術式については余り述べられていないが、 『導引口訣紗』を理解する上で参考になる。

とあり、やっと疑問が解消しました。

原書の「古今導引集ヲ撰(エラン)デ・其ノ要ヲアラワス」を、大黒氏は「古今導引集を著述して、導引の大切な所を述べることにした」と読んでいますが、「古今導引集を選び、その古今導引集の要点をここに記す」と読めば、しっくりとくる文章です。
この「導引口訣鈔」の元となった「古今導引集」も是非読んでみたいものです。

大黒氏編著「導引口訣鈔」(谷口書店)は、大黒氏独自の現代語に直してあるので、全体像を掴むには最適な本なのですが、手技内容を細かく検討するにはお勧め出来ない本です。
手技の微妙なニュアンスを調べるには、やはり原書(京都大学電子図書館版等)にあたった方が良いと思います。
このサイトでテキスト化をはじめたのも、原書のまま漢字ひらがな表記に直したものを読みたかったからなのです。

手技

手技用語

「導引口訣鈔」の「養生按摩の訓」で使われる手技に関して、「江戸時代按摩手技の文献的考察」(長尾榮一)では手技用語の出現頻度を調べてくれています。

手技
出現回数
摩でる
43回
砕く
11回
解く
10回
動す
5回
(分肉)解結する
4回
3回
摩解する
2回
和げる
2回
甘げる
1回
按摩する
1回

長尾氏は上記用語を抽出し、それぞれの手技を「軽擦法」「揉捏法」「圧迫法」に分類。

手技
軽擦法
49
揉捏法
35
圧迫法
1

とまとめています。
それにしても「江戸時代按摩手技の文献的考察」は有り難い資料です。
こういった地味な抽出作業を行ってくれた論文があるおかげて、それを元にいろいろな考察や推測が出来ますから。

長尾氏は、上記のように「軽擦法」「揉捏法」「圧迫法」に分類してはいますが、実際に追試してみた個人的感触では軽擦法以外に分類されたもの中にも軽擦法として分類した方が良い手技も多いのではないかと思っています。
それも含め、次に同時代に出版された百科全書「和漢三才図絵」から手技を検討してみたいと思います。

「和漢三才図絵」に見る按摩手技

「和漢三才図絵」とは

正徳2年(1712)頃発刊された寺島良安編著による本邦初の百科事典。
百五巻81冊に及ぶ。
編著者寺島良安は法橋の位をもつ大阪の城医であるが、生没年その他経歴など詳しいことは分かっていない。
編著の動機は師和気仲安より「良医たるべき資格として天人地の三才に通じる」旨示唆されたことであると記されている。

和漢三才図絵」 国会図書館デジタルアーカイブ

「和漢三才図絵」による按摩手技

まずは、「和漢三才図絵」中より、手技につながりそうな記述をピックアップ。
(「東洋文庫」訳を参考にはしましたが、原文のニュアンスが消えていると思われる部分もあるのでデジタル画像原文の漢文を自己流にて読み下し。とはいえ、デジタル画像がまた不鮮明な所多し。)

巻第七「人倫類」より「按摩(導引)」

和漢三才図絵按摩:按摩古典書「導引口訣鈔」を読む1:成り立ちと手技:町の按摩さん.com
按ずるに凡そ経絡を摩さすり按じ、痃癖けんぺきを引き擦さする、之術保養中の一事也。
素問奇恒論に云う、爪苦く手に毒ありて善く事を爲して傷る者は、積しゃくを按じ痺を抑え使む可し。
後漢の華陀按摩し能く人を活かす。

巻第十二「支体部」より「手の用」

和漢三才図絵手の用:按摩古典書「導引口訣鈔」を読む1:成り立ちと手技:町の按摩さん.com
按(おさへる)-音は安
按(乎左倍留-おさへる)は抑(おさへる)也。一の指にて按(おさへる)を(音は葉-よう)と曰ふ。

撫(なてる)-音は府
撫(奈天留-なてる)は摩也。

(もむ)-音は那(ダ)
(毛無-もむ)は兩の手にて切摩する也。(同じ)。

現代では按摩といえば「揉む手技」と思いがちですが、三才図絵に「經絡を摩(さす)り按じる」とあるように、本来的には「さすり、おさえる手技」だったようです。

字義的にも「按」は「おさえる」または「しらべる(一つずつおさえてみる)」という意味。
三才図絵には「按は抑(おさえる)なり。ひとつの指にて按(おさえる)を(おさえる。おさえこむ)という」とあります。
また、「摩」は「なでる、さする」「せまる、触れ合う」という意味。
三才図絵には「撫(なでる)は摩なり」とあり、「摩」は「なでる」ということになります。

もう一度三才図絵の「按摩」の解説を見てみます。

巻第七「人倫類」より「按摩(導引)」(現代語訳)

思うに、おそらくは、經絡をさすりおさえ、筋のつれ(または肩背部)を引きさするこの術は、保養の一種である。
素問奇恒論には 「爪苦く手に毒ありて、しばしばよく事をなして傷めるような者は、積(つかえ、かたまり)を按じ痺(しびれ)を抑えるべきである」 とある。
後漢の名医華陀は、按摩により巧みに人を治した。

江戸時代、按摩は盲人の専業となったことにより一般に広まりました。
按摩が大衆にとって手軽に受けられるものになったのはいいのですが、「按摩は単なる娯楽、慰安、保養の技に堕してしまった。本来の治療技術を持つ按摩を復興し広めよう」と立ち上がった人々がおり技術的詳細を記した按摩書が出版されました。
その最初が「導引口訣鈔(1713)」で、その約90年後に「按摩手引(1801)」「按腹図解(1827)」と続きます。
ところで、「和漢三才図絵」が出版されたのは「導引口訣鈔」が出版される前年の1712年。
三才図絵の編著者、寺島良安は医師であり治療技術に関する専門家です。
「按摩」の解説についても、当時の空気がよく出ているように思います。

寺島良安先生曰く。
「思うに現今の按摩術は保養(慰安)の一種である」。
「だが、本来的に按摩術は確固とした治療技術であり、何故ならば中国の治療古典には積(つかえ)を按じ痺れを抑える按摩治療法が記載されており、実際後漢の時代、華陀という名医は按摩により巧みに人々を治療した」。

こうした時代背景をもとにして読み直すと、たった数行の文章も俄然生き生きとしてきて楽しいですね。


  • ちなみに、大黒氏編著「導引口訣鈔」に挿入されている出典不明の古歌が前から気になっており・・・。
    すくなひこなのにが手にて  なでればおちるどくのむし  おせばなくなる病のちしほ  おりよさがれよいではやく
    それと和漢三才図絵・巻第七「人倫類」より「按摩(導引)」にある素問奇恒論よりの引用文。
    爪が苦く手に毒があり、しばしばよく傷つけるようであれば、積(つかえ、かたまり)を按じ痺(しびれ)を抑えるべきである
    この辺をちょっと調べてみました。

    まず、和漢三才図絵には素問奇恒論とありましたが、実はこの文章は同じ黄帝内経でも 「霊枢・官能第七十三」にある文章です。
    治療者がその技術を伝承するに際して、その弟子個々の特性を見極め、それぞれの特性を活かせる技術を伝承すべきであるという文章のようです。
    和漢三才図絵で引用している 「霊枢・官能第七十三」後半では「手毒」と「手甘」に関しても述べられており、手毒=気を吸い取りやすい手、手甘=気を与えやすい手、としています。
    「霊枢・官能第七十三」でいう「爪苦手毒」とは、おそらく対象の気を吸い取り散らすような瀉法的運用に適した手であり、大黒氏編著「導引口訣鈔」挿入の出典不明古歌にある「すくなひこなのにが手」も同様の手を表しているのだと思います。

    この 「霊枢・官能第七十三」の内容は、次回取り上げる「按摩人を選ぶの訓」と重なる部分があるので、そこでも詳しく読んでみたいと思います。
ともあれ、ここで見たいのは当時の手技です。
当時行われていた按摩の手技部分だけ抜き出してみると

巻第七「人倫類」より「按摩(導引)」(現代語訳)

經絡をさすりおさえ、筋のつれ(または肩背部、肩甲間部)を引きさする術

ということになります。
「揉む」や「揉みほぐす」という言葉はまったくなく、「経絡をさすりおさえ」「筋のつれを引きさする」手技だということが分かります。

※「筋のつれ(または肩背部、肩甲間部)」としたのは原文の「痃癖」(けんぺき)。
  「痃癖」は状態としての「筋のつれ」や、身体部位として肩背部や肩甲骨内則を表すこともあります。

 

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