国会図書館の近代デジタルライブラリー「古事類苑」の中の「人部四 身體一」を見て、是非ともこれを読んでみたい思い、「
身體に関する言葉の源流
」を作りはじめました。
ですが、デジタルライブラリーの画像だけでは読み取れない単語があったりし、結局オンライン古書店で「古事類苑・人部」の1と2を購入。
購入後、パラパラとページをめくっていると、「人部四 身體一」だけではなく「人部一」から興味深い内容があることに気付き、人部の最初からページを作ることにしました。
ページ作りは、自分自身が繰り返し読むことになるので、とにかく自分が読みやすいように進めています。
カタカナ表記をカナに変えたり、漢文にはまったく疎いながらも辞書を引きつつ間違っていようが構わず強引に読み下していくつもりです。
人に、男女の兩性あり。
男を、ヲと云い、ヲトコと云い、ヲノコと云い、又男子と云う。
女を、メと云い、ヲミナと云い、メノコと云い、又女子若しくは女人と云う。
又男子は、女人に比して強壮なるを以て、益荒夫(マスアラヲ)と云い、女子は纖弱なるを以て、手弱女(タヲヤメ)とも云へり。
而して男女には、又容貌の美醜あり、身體の長短ありて、各々その稱呼を異にせり。
人は、其の年齢に應じて、少、壮、老の別あり。
少は、ヲサナシと云い、イトケナシと云い、又ワカシとも云う、又赤子(アカゴ)と云い、兒(チゴ)と云い、若子(ワクゴ)と云うは、皆小兒の謂(いい)にして、或いは頭髪を以て、緑子(ミドリコ)、髫(メザシ)、髫髪(ウナイ)、總角(アゲマキ)等に別てり、並びに成年に達せざる者の稱なり。
壮はオトナシと云い、タケシと云い、又ヲトコザカリとも云う、即ち成人の稱なり。
老はオイと云い、又トシヨリと云う、而して其の老男を翁(オキナ)と云い、老女を嫗(オミナ)と云へり、並びに壮年を過ぎたる者の稱也。
■倭名類聚抄 - 人 - 人は男女の総称である。(白虎通)
■箋注倭名類聚抄 - 男女 - 男女の総称を人とする。(原書天地篇) 人は天地の精髄であり最も貴いものである。(説文) 人という字体は、人の手足の形を象ったものだ。 人は仁(じん、ひと)であり、仁は物を生むものである。そのため易経 (説卦伝)に「人の道を立て、仁と義と名付けた」とある。(釈名)
■段注説文解字 - 人 - 人は天地の精髄であり最も貴いものである。 …中略… 礼記・礼運篇に曰く。 人は天地の徳、陰陽の交、鬼神の会、五行の秀気である。 また、人は天地の心であり、五行の末である。 五味(酸・苦・甘・辛・醎)を食し、五声(呼・言・歌・哭・ 呻)を聞き分け、五色(青・赤・黄・白・黒)を纏い生きる者だ。 ・註:礼運篇本文には「五聲六律十二管、還相爲宮也」とあるので、 五聲とは五音(角・微・宮・商・羽)のことか。 思うに、禽獣草木はみな天地が生むのだが、天地の心をなし得るもの ではない。 ただ人のみが天地の心を為し得るのだ。 故に天地は人を生み、極めて貴いことを為した。 天地の心を人といい、天地は巧みにその徳を合わせた。 果たして実るところの心、これをまた人といい、巧みに草木を生み果 実を成し、微細な至るところまで浸透し、しかも全体を具えている。 …中略… 人という字体は、…註略… 手足の形を象り、人は生まれ、禽獣より貴いのだ。 故にその上肢下肢の形を象り、 如鄰切、十二部、凡人之屬皆从人、←意味を考え中。(^^ゞ
■日本釈名 - 人 - 人は万物の霊であるので、人に並ぶ物はない。 天下に唯一の物なので一(ヒトツ)と言う。 また天にある物で日より尊いものはなく、地にある物で人より尊いも のはない。 日の友であるが故にひとと言い、("ひのとも"="ひとも"の)"も"を 略す。 但しこれは上古の言葉であるので、強いてみだりには解き難い。
■東雅 - 人 - その意味は詳しくはわからない。 上古の言葉でヒというのは、霊であり、また善である。 トというのは、止である。 そこで、ただ人のみが万物の霊である、などという時にその意味は自ず から合致するように、そこに神聖な徳があることを尊びあがめてカミと いう事は、前に記した。 そういえば、カミといいヒトというのは、共にその善を極めたことをい う名称である。 古語にヒというのは、霊の意味より来ており、前に挙げた日の註にも書 いてあるが、善ということは万葉集抄に見ることが出来る。 古の語に、ヒトという事をトとだけいうこともあり、旧説にツというの は、これもまた人というのをそのようにいったのであろう。 ツといいトというが如きは、つまり語り言葉が転じたものである。
■文徳実録 天安元年八月壬辰。 夜、快い雨。 ここ数日雨降らず。 田畑、頗る苦しむ。 今日、人々(人間)は歓喜し、神に祈りを捧げた。
■大鏡 佐理の大貳は世に聞こえた能書家で、…中略… 私がする事を、世間(人間)の人が誉めることでさえ愉快なことなの に、ましてや神の御心にそれほどまで手に入れたいと思われることが、 どれほど得意に思われることか、
性情は、邦語に汎(ひろ)く之をコゝロと云ふ。ロゝロは即ちココロにして、原と萬慮を總包するの稱なり。而して剛毅、温和、遍急、愎很等の因て分るゝ所、之を性と謂ひ、喜怒、哀楽、好悪、愛戀等の因て發する所、之を情と謂ふ。