身體に関する言葉の源流

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身體に関する言葉の源流

身体に関する日本語の意味や源流を知ることは、日本人の身体観を知ることにも繋がる、かも知れません。
「古事類苑」人部四に、身体の名称に関する詳細な記述があったので、それを少しずつ読んでいくつもりです。
とにかく量が多いので、ゆっくりゆっくりと……。

ただ、中国文献の引用や漢文はひとまずパス。
その内、時間があって漢文にトライする気が起きたら読んでみる、かも知れないです。

また、平安時代に編纂された日本初の国語辞典「倭名類聚抄」も読んでみたいのですが、バリバリの漢文だらけで今のアタシにはちょっと無理です。(^^;;


古事類苑・人部四 身體一


身體は、ミと云い、ムクロと云い、後又カラダとも云う。
又之を四體と云うは、元支那より出で、五體と云うは、印度に起こりたが如し。
而して死骸は之をカバネと称す。
身體の各部は、各々特殊の作用を有し、随って其の名称も亦極めて多し。
就中頭髪には、垂髪、結髪、剃髪総髪等の別ありて、年齢若しくくは時代場所等に由りて、各々其の称呼を異にし、今容易に之を識別し難きものあり。

垂髪は、我邦最古代の風なれども、男子は夙に(つとに_早くから、以前から)之を頭上に束ねたりしが如し。
天照大神、神功皇后等の、特に事ある時は、男子に擬して、髷を作り給いし事あるを見て知るべし。
天武天皇十一年、詔して、天下の民、婦女悉く結髪せしめしが、十五年に至りて、女子は再び悉く垂髪せしむ。
宮中其の他貴族の男女は、後世に至るまで、一に此の風を守れり。
されど普通の婦女は、作業の爲に、之を束ぬるの風漸次に起こり、而して其の結髪の風、又次第に美容を尊び、遂に種々の髷形を生じ、徳川幕府時代に至りては、非常に多くの名称を生じたり。
而して男子結髪の風は、古来大抵一様なるが如きも、中世戦乱の時、武士甲冑を帯するより、逆上を防ぐが爲め、頭髪の一部分を剃るの風起こり、之を月代と云いて、徳川幕府時代に至りては、若年のものは月代を剃らず、特に之を総髪と云えり。
小児の髪は、胎髪を苅るを以て通常と為し、爾後二歳迄は多く之を剃るの例なり。
或いは後世頭上に少許の毛を残すを罌粟(けし)坊主と云えり。
三歳にして髪を蓄え、其年の誕生日に之を垂る。
而して男子は、其後之を額に束ぬ。
之をミズラ、又はヒサゴバナと云り。
又女子は、垂髪の初をメザシと称し、其髪長じて肩の辺に届く時は、之をウナイゴと云い、十三四歳に至り、其髪更に長じて帯の辺に至れば、ウナイバなり。
又はワラハと云う。
古は頭髪の黒く長きを尊び、其長さ身長を超ゆるもの多し。
又縮毛を忌み、白髪を忌む事、古今相同じ。
又髪薄きものは、義髪を爲せり。

髭は古来之を蓄うるの風なりしが、武家の世に至りて、益々之を尊び、其之なきものは、作り髭を爲せり。
されど徳川幕府中葉以後は、世太平に慣れて、人心漸く柔弱に赴き、髭あるものは、却って人に憎まるる如き事ありしと云う。

身體には、稀に種々の奇形を爲すものあり。
而して其の甚だしきものに至りては、一身両面のものあり。
四足四手の者あり。
身體に翼あるものあり。
頭上に角を生ずる者あり。
全身軟弱にして恰も骨無きが如きものあり。
或いは一部分の不足するものあり。
これを総称して片輪と云い、又不具と云う。

此の篇は、方技部疾病篇に関連する所多し。
宜しく参照すべし。


名稱

名所

容姿