ヘミシンク日記5

スロージョギング日記2:健康法日記:町の按摩さん.com
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ヘミシンク日記

  1. ・ヘミシンク、はじめての啓示は笑い声ですかい・ヘミシンクと按摩・夢見心地の体
  2. ・最近の治療中BGM・「ゲートウェイ・エクスペリエンス」再開・以前の「ゲートウェイ」経験
  3. ・「Sprits Journy」メタミュージック・ゲートウェイWAVEⅡ#3 & #4・チャクラ・ブリージング瞑想
  4. ・久しぶりの「モーメント・オブ・レバレーション」・ヘミシンクと瞑想との違い・瞑想とエネルギー感覚
  5. ・四気調神瞑想・はじめてのガイドとの遭遇・静謐な意識状態
  6. ・体全身の振動が心地良いメタミュージック

ゲートウェイ・エクスペリエンス第1~6巻セット : The Gateway Experience Wave I-VI (日本語版) [ヘミシンク] \34,240
モーメント オブ レベレーション : Moment of Revelation(日本語) [ヘミシンク] \1,980
ペイン・マネージメント:Pain Management(日本語) [ヘミシンク]  \3,050
ザ・ビジット:The Visit(日本語) [ヘミシンク]  \2,340
・メタミュージック Spirit's Journey [ヘミシンク] \1,943
・メタミュージック The Sherman's Heart [ヘミシンク] \1,850
・メタミュージック ドリームシード : Dreamseed [ヘミシンク]  \2,000


四気調神瞑想

2009/12/12

ここのところ、陰陽五行の場(土)に働く四気(木火金水)を実感として体感するイメージ瞑想を継続して試みています。

これは感覚や感性、気分、情動のマッサージともいえるかもです。
それらを活性化し浄化する感じがします。

感覚や存在感がクッキリとして来る感じ、ともいうか・・・

いずれ、詳しいことを書くかも。


 

はじめてのガイドとの遭遇

2010/03/06

先日、モンロー研究所のヘミシンク・メタミュージック「シャーマンズ・ハート」をお試し。

The Sherman's Heart [ヘミシンク] \1,850

一度目は「なんとなくブレスセラピーをやってる感じと一緒かも」的感想でしたが、二度目にやった時はかなり没入。

流れる情景に漂い、そして情景の中を飛んでいく感覚。
現実に横たわっている体は意識出来るのですが、エネルギーというか感覚としての体が情景の中に漂い、そして飛んでいく感じ。

その内、視野の端の方に浮世絵にあるような年増のおかみさんがチラチラ出現し。
いきなり目の前にどアップでズームイン。

ひょっとしたら、これが噂に聞くガイド的存在なのかと。
「ひょっとして、ガイドっすか?」と聞くと、ニヤッとお笑いになられます。
メッセージなんかを伝えてくれるという噂なので、その旨尋ねると。
「たまには遊びにいらっしゃいよぉ」と、江戸の町に消えていきました。

ふ~む。
これがガイド的なものでしたか。

いや、もちろん、人によってはもっと違う見え方感じ方なのかも知れませんが。
とりあえず、今のぼく的にはこんなものなのでしょう。

ところで、ガイドからのメッセージですが。
このセリフ、ぼくの内側から出て来たものです。
とはいえ、顕在意識的ぼくの想定外のセリフであり。
顕在意識的想定外とはいえども、感触としては何やら思い当たらないでもない……。

そう、そう。
この感触は前にもありました。

ぼくが信頼するサニヤシン(OSHOのお弟子)のひとり、マンガラのタロット・リーディングを受けている時の感触に似ています。
彼女のリーディングを受けている時、彼女の語る言葉は、まるでぼくが喋っているような感覚。
ぼくの顕在意識と無意識の狭間、または無意識の顕在意識近い所に漂っている想いを、彼女の口を通して聞いている、そんな感じ。

なるほど、そんな感触でした。
ヘミシンク、けっこう使えるツールかもですね。

ところで、ガイド(または、ぼくの無意識)から出て来た言葉ですが。

>「たまには遊びにいらっしゃいよぉ」と、江戸の町に消えていきました。

その後、顕在意識的にも明らかになって来たのは。
この、「たまには遊びにいらっしゃい」と招かれている場所は、身体のより深くて微細な感覚的世界。
「江戸の町」は、簡略に表現すれば、江戸期に書かれたものやその他古典の世界。

古典を通して身体の深くて微細な感覚的世界にもっともっといらっしゃい、みたいな感じでしょうか。

この記事の下に「四気調神瞑想」のことを書いているのですが、その世界のことでもあります。

それについても、その内ここで書いてみる予定。

 

静謐な意識状態

2010/04/18

以前、「ヘミシンクと瞑想の違い」を書きましたが、最近それを再確認することが出来ました。

以前書いたのは、以下のような内容でした。

ぼくが今までやってきた瞑想や、体験してきた瞑想的環境はOSHOのものがほとんどですから、ここでいう瞑想とは「OSHOのそれ」ということになります。
それらの体験とヘミシンクの大きな違い、それは静けさです。
何もない、透きとおった静けさ。
瞑想の時の静寂を「透きとおった」と表現するのはちょっとピンと来ないものがあるのですが、ヘミシンクとの違いを言葉にするとすればそんな感じです。

先日、友人に活元や愉気を教えてもらったのですが、その際、モンロー研究所のヘミシンクを使った時の意識状態と、瞑想で入っていく意識状態の違いをハッキリと認識出来ました。
(※もちろんこれはぼくの個人的体験における違いであって、決して一般化出来るものではありません)

瞑想とヘミシンクとの違いもさることながら、活元や愉気で比較的深い瞑想的状態に入れることは驚きでした。
鍼灸学校の学生だった頃に体験したとある活元会の印象は、瞑想とはかけ離れたやや宗教的の匂いのするものでした。

以下はメインのブログに書いた、その時の様子です。

まずは正座して肩や胸、上半身の緊張をゆるめるワーク。
上半身の緊張がゆるんだところで、背中に手を当ててもらいます。
なにやら丹田に重心や力点が集中するような、そんな手の当て方。
息を吸った時に無理なく丹田付近の下半身に息が充ち、周囲の皮膚が気持ちよく伸びるのが感じられます。

この背中(または腰付近)に手を当ててもらったのは、ほんの数分。
手を放した後でも、息を吸うとき丹田に息が充ちる感覚は継続しています。

さて、こんな簡単なワークだったのですが。
驚くことに、これだけで空気が一変しています。

視界はクッキリとし周囲のものが鮮やかに見えます。
静謐な空間に、意識が鮮明な状態で「在る」、そんな感じです。

深い瞑想や治療中に入る”アレ”と同じです。
例えば、聖域といわれる場所や神社に佇んでいる時の空気のような……。

日本的な「肚(はら)に気が充ちる」とはこういうことでしたか。
う~む。
かなり誤解していました。

「肚や丹田を練る」というのは、もっとこう、なんというか、中国的気功と似ているものだと思っていました。
練る、鍛え上げる、造り上げるもの、というか。

でも、違いました。
上半身に無駄な緊張がなくて重心が定まれば。
そこには丹田がある。
そんな感じでした。

友人の話では、同じ野口整体でもこういった意識状態に入ることを理解している先生は少ないだろうとの事。

ほんの数分の操法で。
体はくつろぎ、マインドは静まり、周囲の物は色鮮やかに輝いて……。
静謐な空間の中にただ”在る”。

そこに至る道筋は、驚くほどシンプルです。
上半身の無駄な緊張がなくなり、肚に気が充ちるだけ。

「肚に気が充ちる」というのも、息を吸うときに下腹部(丹田)周りの皮膚が四方に膨張し充実するという、至って単純なことでした。
中国的気功の(ぼくの中での)イメージのように、力んだり鍛える必要のないもの。


モンロー研究所のヘミシンクでは、終わった後気分がスッキリしたり体が軽くなったりすることはありますが。
こういった静謐な意識状態には、今のところなったことがないのです。