沈黙の開花:秘教の科学2:町の按摩さん.com

秘教の科学2

 

  1. はじめに 切望と緊張
  2. 沈黙の開花
  3. エーテル体 愛
  4. アストラル体 欲望
  5. メンタル体 気づき
  6. スピリチュアル体 自己知(存在、意識、至福)
  7. コズミック体 宇宙的無個人
  8. ニルヴァーナ体 非存在 無

 




沈黙の開花



想像力は同じように建設的、創造的にもなり得る。
もしあなたの想像する能力全体が、未来でなく現在に、瞬間に焦点が当てられているなら、あなたはあなたの存在を詩として見始めることができる。
あなたの想像力は望みを作らない。
それは生きることに使われている。
この現在に生きることは緊張を超えている。


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動物たちは緊張しない。
木々は緊張しない。
なぜなら彼らには想像する能力がないからだ。
彼らは緊張を超えているのではなく、緊張以下なのだ。
彼らの緊張は今の所ただの可能性でしかない。
それは現実になったことはない。
彼らは進化している。
いずれ彼らの存在の中で緊張が爆発し、未来を切望する瞬間が来るだろう。
それは必ず起こる。
想像力は活動的になるだろう。


想像力が活動的になる初めのものは未来についてだごあなたはイメージを作リ出し、そこに現実味がない為にもっともっとイメージを作り出し続ける。
しかし現実に関する限りあなたは想像することはできない。
どうやって現在に対して空想的になれるだろうか、そこには何の必要もないように見える。
この点は理解されなけれぱならない。
もしあなたが現在に意識的でいることができれば、あなたは想像の中で生きてはいない。
その時想像は存在それ自身の内に自由に想像し始める。
正しい焦点だけが必要とされている。
もし想像力が現実の上に焦点づけられたら、それは創造し始める。
創造はいろいろな形をとるかも知れない。
もしあなたが詩人ならば、それは詩の爆発になる。
詩は未来を切望するのではなく、現在の表現となるだろう。
またあなたが画家ならば、その爆発は絵の爆発となるだろう。
絵はあなたが想像した何かを描くというものではなく、あなたが知っていて生きているものになるだろう。


あなたが想像の中で生きていない現在の瞬間はあなたに与えられる。
あなたはそれを表現することもできるし、さもなければ沈黙の中に入っていくこともできる。
その沈黙は今や練習された、死んだ沈黙ではない。
この沈黙もまた現在の瞬間の表現なのだ。
その瞬間はとても深いので、今や沈黙を通してしか表現することができない。
詩でさえも充分ではなく、絵でさえもそうだ。
表現は不可能だ。
この沈黙は否定的なものではなく、むしろ肯定的な開花なのだ。
何かがあなたの中で花開いている。
沈黙の花だ。
そしてこの沈黙を通して、あなたが生きているすべてが表現される。



二つ目のポイントは同様に理解されるべきだ。
この想像力を通した現在の表現は、未来の想像でも過去に対する反応でもない。
それは今までに知られてきたどんな経験の表現 もない。
それは経験していることの経験…あなたがそれを生きているように、それがあな
たの中で起きているように。
生きた経験ではなく、生きている経験のプロセスなのだ。



その時、あなたの経験と、経験しているものは二つのものではない。
それはひとつであり、同じなのだ。
その時絵描きはいない。
経験しているそれ自身が絵になっている。
経験しているものそれ自身が自分を表現している。
あなたは創造する者ではない。
あなたが創造であり、生きたエネルギーなのだ。
あなたは詩人ではない。
あなたが詩なのだ。
存在は未来に向かっているものでも、過去に向かっているものでもない。
未来から来ているものでも、過去から来ているものでもない。
瞬間それ自身が永遠となり、そしてすべてのものが瞬間から来る。
それが開花だ。


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この開花は、緊張が7つの層を持っているのと同じように7つの層を持っている。
それはすべの身体にある。
たとえぱもし生理的な部分で起こるなら、あなたはまったく新しい感覚で美しくなる。
この美は形あるものではなく無形のものだ。
そしてもし、あなたが体の中に緊張のない瞬間を感じることができたら、あなたは以前は知らなかった幸福を、積極的な幸福を感じるだろう。



私たちは、私たちが病気ではない時に健康なのだ、というような否定的な幸福の状態を
知っている。
このような健康は単に病気の否定だ。
それはまったく積極的ではなく、単に病気がそこにないだけだ。
医学的な健康の定義は、もしあなたが病気でなければ健康だ、というものだ。
しかし健康は積極的な次元も持っている。
それは単なる病気の不在ではない。
健康の存在なのだ。



あなたの体は瞬間から瞬間への存在を生きている時だけ緊張せずにいられる。
もしあなたが食事をしていて瞬間が永遠となるなら、そこには過去も未来もない。
まさに食事をするプロセスが存在するすべてだ。
あなたが何かをしているのではない。
あなたがしていること、そのものになっている。
そこには緊張はない。
あなたの体は満たされたと感じるだろう。
またあなたが性的交流の中にあり、セックスが性的緊張からの単なる開放ではなく、愛の積極的表現であれば…もしその瞬間がトータルで全体的で、その中に完全に在るならば…その時あなたは体の中で積極的な幸福を知るだろう。



もしあなたが走っていて、走りがあなたの存在の全体になっていたら。
もしあなたが訪れて来る感覚そのものになっていて、その感覚から離れず、それと一体になっていたら。
もし未来がなく、この走りにゴールがなく、走リそのものがゴールだったとしたら…その時あなたは積極的な幸福を知るだろう。
その時あなたの体には緊張がない。
生理的レベルにおいて、あなたは緊張のない生の瞬間を知っている。



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そして同じことが7つの身体それぞれに対して真実だ。
体に起こり得る二つのことを知っていれば、第一身体の緊張のない瞬間を理解するのは簡単だ。
病気、積極的な病。
そして否定的に定義づけられた幸福、病気の不在。
これはすでによく知られているが、私たちは三番目の可能性を思いつくことができる。
積極的な幸福、健康。
しかし第二身体、エーテル体に緊張がないことを理解するのはもう少し難しい。
なぜなら、あなたはそれについて何ひとつ知ってはいないからだ。
しかしあることは理解され得る。