- Chua'Ka チュアカとは カルマの開放
- 足のセルフマッサージ
- 下肢(すね、ふくらはぎ)のセルフマッサージ
- 膝のセルフマッサージ
- マッサージのアドバイス
- HPへのチュアカ掲載にあたって
チュアカとは
チュアカとは、身体から恐怖や緊張を意識的に開放するため、古代モンゴルの戦士たちが開発したものです。
彼らはその当時の人々でさえ全く気づいていなかった、恐怖と行為に関してとても瞑想的に探求を続け、ある発見をしました。
その発見とは、私たちに起こった精神的、肉体的な苦痛はすべて私たちの身体が記憶しているということでした。
(これは20世紀になってウィルヘルム・ライヒやアレキサンダー・ローウェン、その他の人々が明らかにするまで、ほとんど忘れ去られていました。)
身体にもっと意識的になるためには、 様々な恐怖や苦痛を感じる勇気が必要になります。
そしてその時に始めて、それらの恐怖や緊張は解き放たれるのです。
ほとんどのモンゴルの人たちは、苦痛が身体にとどまということを信じていましたが、私たちはそのことに(激しい痛みがあった後でさえ)気づいていません。
なぜなら、 身体は痛みのある部分を直ちに切り離し、そこの筋肉を動かさないか、または最小限動かすだけにとどめます。
このように身体に抱え込まれた苦痛は、その人が痛みを感じず、その痛みを忘れるため、身体の本来的なパターン(構造)を変えてしまうことになります。
この肉体的な苦痛は精神に反映し、 また身体の苦痛は心理的苦痛になり、その逆も同様になります。
チュアカは皮膚や筋肉、関節、神経などの肉体的な緊張と、それに関連した心理的な恐怖の両者に働きかけます。
彼らモンゴルの戦士たちは、チュアカを行なっている間の心構えとして役に立つ 、エネルギーと身体に関する 、いくつかの考えを持っていました。
その中でも一番重要なものが〈カツ(Kath)〉と呼ばれるエネルギーの存在でしょう。
彼らは、この世界すべてに充満しているエネルギー〈カツ〉の存在を信じていました。
( ヨガではそれをプラーナと呼び 、老子はタオと呼びます)
そして私たちは緊張や恐怖、萎縮することを通して、 この自然なエネルギーの流れから自分自身を阻害しているのです。
ですから、 ここでのマッサージのそれぞれのパートはこの〈カツ〉と再び結びつくための試みになります。
そしてこの結びつきこそがヒーリング(癒し)なのです。
ですからそれぞれのマッサージは感情を込め、 敬う態度で行なって下さい。
彼らはこのような態度についてこう語っています。
ここにあるものはお前の体ではない。
そしてお前が創ったものでもない。
これは〈お前のもの〉などではなく、人間の体なのだ。
〈人間の体は神の雛型なのだ 〉という認識と共に尊敬の念を抱きなさい。
我々はカルマによって雛型を歪め、傷つけてしまい 、もはや我々は現存…神が神の雛型として創った体としては現存していない。
そこで我々は自分自身の誤りを正していかなければならないのだ。
深い〈カツ〉の気づきと共に各部にオイルを塗りなさい。
そして、手はマッサージがなされるべき部分に〈カツ〉を招き、引き寄せられるようにしておきなさい。
お前の手が自然な〈 カツ 〉の流れの中にある時、お前の手はすべてを知っている。
お前の両手が動くにまかせなさい!
ただ体は傷つけてはならない。
もし正しくなされるなら、痛みとの境い目でチュアカは絶えることのない喜びとなるだろう。
ひとたびそれが痛みとなったなら 、体はより恐怖引き付けられてしまう。
だから決して喜びの感覚を失わないでいなさい。
もし 、お前がチュアカ を喜び楽しんでいるのならば、それが正しいチュアカなのだ。
チュアカを行う前に
チュアカをする前にそれぞれの恐怖はそれが開放されるまでは必ずそこにとどまっています。
チュアカはそれらの恐怖の意識的な開放です。
この開放を完全なものとするためには、チュアカを継続的に、ゆっくりと行なわなければいけません。
ひとつのまとまったセッションにはおよそ12時間のセッションが必要となります。
そしてそのセッションを行なう場所は正しく順序立てて行なう必要があります。
まず最初に足、それも左足から始めて次に右足というようにすべてのワーク(働きかけ)は身体に対してバランスよく行なうようにして下さい。
もし一度のセッションで身体全体に働きかけられなかったのなら、次のセッションは前回終わった場所から始めてください。
カルマの開放
どの部分にも、恐怖に対するそれぞれ独自の態度、エネルギーがあり、それが蓄積しています。
そして常に一番新しいものがやっかいです。
というのも、 どの部分にもすでに蓄積された恐怖に対する態度や緊張があり 、その上にさらにまたそれらが付け加えられるからです。
また全く問題がないと感じる場所は、逆にその場所が完全にブロックされている、と言うことができます。
なぜならその場所の緊張が、 自分で緊張していると感じることすらできないほど強固なものになっているからなのです。
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