按摩さんのいる風景 - 本の中の按摩さん - :按摩の歴史・古典:タイトル:町の按摩さん.com

按摩さんのいる風景 - 本の中の按摩さん -

  1. ・小説その他書籍の中に登場する按摩さん ・「大島行」林芙美子
  2. ・「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」三遊亭圓朝 鈴木行三校訂編纂
  3. ・「歌行燈」泉鏡花
  4. ・「吾輩は猫である」夏目漱石
  5. ・「「詩集(1)初期詩篇」小熊秀雄
  6. ・「東京に暮らす 1928-1936」キャサリン・サンソム/著 大久保美春/訳
  7. ・「東京人の堕落時代」杉山萠圓(夢野久作)
  8. ・信仰餘賦「小星」葛巻星淵

小説その他書籍の中に登場する按摩さん

小説その他著作の中に登場する按摩さん。
そんな文章を集めてみようと思います。
青空文庫」というオンライン電子図書館があり、作者の死後50年を経て著作権の消滅した作品と、著作権者が「タダで読んでもらってかまわない」と判断したものがおさめられています。
この中で、作者の死後50年を経て著作権の消滅した作品=昭和初期以前の著作が収集する対象になるかと思います。

フィクションやノンフィクション、様々な風景の中に登場する按摩さん。
ぼくたちの知らない、または忘れてしまった風景や空気。
そんな中に、按摩という技術の根本があるのではないか、と思うのです。

※テキストは読みやすいように、一部改行や文字修飾している部分があります。

 

「大島行」林芙美子


大島行きの紀行文。
全五信中第二信の一部を抜粋。

作者が大島を訪れたのは昭和8年(1933)だったらしいです。
ぼくが大島の近く、式根島に按摩さんとして行ったのは昭和60年(1985)頃。
勤めていた鍼灸院から派遣されて、夏の間1〜2週間行った時。
当時、式根島には常駐の按摩さんがひとりもおらず、けっこう忙しく仕事をした記憶があります。
島の人に聞いたところによると、大島には数人按摩さんいるとか。
今はどんな状況なのでしょう。
ちなみに、現在の大島の人口9800人、式根島は600人。
やはり式根島には、今でも常駐の按摩さんはいないかも。

「大島行」林芙美子:一部抜粋


「大島行」林芙美子:按摩さんのいる風景 - 本の中の按摩さん -:町の按摩さん.com


同じ宿に泊るのもつまらないので、勘定を濟ませて、舶着場で宿を探がしてみました。
「どこか風景のいゝ海の見える宿はないでせうか」
土産物を賣る家で、五錢の牛乳を飮みながら話すと、
「どうもおひとりでは、部屋がふさがつてもうけにもならないのでこゝでは厭がりますが、少しお出しになればいゝでせう」
と云ふ事で、船着場近かくの海氣館と云ふのに泊る。

三原館よりはましでせう。
一望にして海が見えました。
水が不自由なところなので、風呂も牛乳風呂とかで這入つて氣味が惡い。
夕食は湯豆腐が出て驚いてしまひました。
これで參圓五拾錢です。
雨にたゝられたと云ふかたちです。

樂しみがないので、按摩を呼んで貰つたのですが、これが八十歳とかになるお爺さんで、休みながら揉んでくれるのです。
どうも應へないのですが、此爺さんの話はとても面白いので、途中何度か休んで煙草を吸つて貰らひながら揉んでもらひました。

「私は二十八の時、荷物船に乘つて、靜岡から出たので厶(ござ)いますが、二日目に嵐でもつてあなた途中房州の布良汐(めらじを)と云ふところに流されて、三日目にやつと、大島の元村へ着いたので厶いますよ。當世ぢやァお客樣ばつかり乘せる船が出て便利になつたもので厶いますねえ」
「便利は便利だけど、元村と云ふところは少し荒(す)さんでますよ」
「えゝもう進んだもので厶いますよ、電氣もついてゐるので厶いますから」

で、私は苦笑しながら、子供のやうな此お爺さんの生活を訊いてみますと、息子が東京にゐるのですが、住所も判らず、晝は各村々の官主か何かに頼まれ、夜は按摩をするのだと云つてゐました。
「官主をしながら按摩をすると云へばをかしゆう厶いますが、これでも人樣に迷惑をかけず、自活をしてをるので厶いますからへえ、百姓も少しはやつてをりますが、官主をしてをりますので下肥(しもごえ)だけはいらはない事にしてをります。……淋しいもンで厶いますよ……」

此按摩は繁太郎と云ふのださうです。
生れて始めて私は此樣に長命な按摩さんに肩を揉んで貰つたので長生きするだらうと思つてをります。

  底本:「現代日本紀行文学全集 東日本編」ほるぷ出版
    1976(昭和51)年8月1日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2004年5月1日作成
青空文庫作成ファイル:
一部抜粋