秘教の科学:トップページ:町の按摩さん.com

秘教の科学

 

  1. はじめに 切望と緊張
  2. 沈黙の開花
  3. エーテル体 愛
  4. アストラル体 欲望
  5. メンタル体 気づき
  6. スピリチュアル体 自己知(存在、意識、至福)
  7. コズミック体 宇宙的無個人
  8. ニルヴァーナ体 非存在 無

 




はじめに


この文章はOSHOによる講話「THE PSYCHOLOGY OF THE ESOTERIC」の中の一章「BECOMING AND BEING」のプラバによる日本語訳です。
1990年に「OSHO commune International」から許可を得て雑誌「Ya-hoo」およびその特集号「Healing Magazine special」に掲載したものです。

その後別の訳者により「瞑想社」から一冊のまとまとまった本「秘教の心理学」として出版されています。
 ・「秘教の心理学 」(Amazon)
ここでは「心理学」ではなく、敢えて「秘教の科学」と題していますが、ぼくたちの妙なこだわりとしてご了承下さい。

また当翻訳のWeb上への掲載が問題を有する場合は管理者宛メールを下さい。>関係各位様

切望と緊張


7つの身体の緊張とくつろぎについて、何か話して下さい

すべての緊張の最初の源泉は、なっていく(Becoming)ということだ。
人は常に何かになろうと試みている。
誰も、彼のあるがままの自分自身でくつろいではいない。
在ることは受け入れられず、否定され、そして何か他のものがなるべき理想として受けとめられている。
根本的な緊張は常にあなたが在る状態と、あなたが熱望していることとの間に存在する。


切望と緊張:秘教の科学:トップページ:町の按摩さん.com



あなたは何かになりたいと望む。
緊張とは、あなたが在る状態に満足せず、そうでないものになりたいと切望していることを意味している。
緊張はこの二つの間に作られる。
あなたがなりたいと望むものは見当違いだ。
もし金持ちに、有名に、有力になリたいと望むなら。
いや、自由になりたい、開放されたい、神のようになりたい、不死になりたいと考えていたとしても、救済やモクシャ(絶対的な開放)を熱望してさえ、緊張はそこに同じように起こるだろう。


あるがままのあなたに反対して、未来に達成されるべく望まれたものは何であれ緊張を作り出す。
理想が不可能であればあるほど、もっとたくさんの緊張が必ず存在する。
だから唯物論者は宗教的な人ほど緊張していない。
なぜなら、宗教的な人は不可能なはるか遠くを切望しているからだ。
その距離はとても大きいので、大きな緊張だけがその間隔を埋めることができる。


緊張はあなたが在るものと、あなたがなりたいと思うものとの間隔を意味している。
間隔が大きくなれば緊張も大きくなるだろう。
もし間隔が小さければ緊張も小さくなるだろう。
そして、もしまったく間隔がなけれぱ、それはあなたが自分で在ることに満足して ることを意味する。
言い換えれば、あなたは自分で在る以上の何ものも望んでいないのだ。
その時あなたのマインドは瞬間に存在している。
そこには緊張すべき何ものもない。
あなたは自分自身にくつろいでいる。
あなたはタオ(道)の中にいる。
もし間隔が存在しなければあなたは宗教的だ。
あなたはダルマ(法)の中にいる。


間隔はたくさんの層を持ち得る。
もしその切望が肉体的であれば、緊張も肉体的になるだろう。
あなたが特別な体、特別な姿を求める時…もしあなたが肉体のレベルで、あるがままのあなたと異なったものを切望していたら…その時あなたの肉体に緊張が存在する。
ある者はもっと美しくなりたいと思う。
さあ、あなたの体は緊張してくる。
この緊張はあなたの第一身体、生理的な部分に始まるが、もし長びいて一定の状態になったなら、それは深くあなたの存在の他の層まで広がっていくかも知れない。


切望と緊張2:秘教の科学:トップページ:町の按摩さん.com



もし、あなたがサイキックな力を切望していたら、緊張はサイキックなレベルで始まリ広がっていく。
その広がリはちょうど、あなたが湖に石を投げ入れた時のようだ。
それは特定の場所に落ちるが、それによって作られた波は限リなく広がっていくだろう。
それで緊張は7つの身体のどれか一つから始まるかも知れないが、最初の源泉は常に同じだ。
すなわち、あるがままの状態と、なりたいと切望する状態の間隔だ。


もしあなたが特別なタイプのマインドを持っていて、それを改めたいとか変えたいと思うなら…その時緊張は作り出される。
私たちが完全に自分自身を受け入れる時だけ緊張は存在しない。
この完全な受容は奇跡、まさに奇跡だ。
自分自身を完全に受け入れている人を見いだすことはまさに驚くべきことだ。
存在それ自身には緊張はない。
緊張は常に仮説的で、実在し得ない可能性のせいで起こる。
現在に緊張はない。緊張は常に未来指向だ。
それは想像から来る。
あなたは自分自身をあるがままとは違う何かとして想像することができる。
この想像する能力が緊張を作り出す。
そして人は想像力がたくましければたくましいほど、もっとたくさん緊張する可能性がある。
それで想像力は破壊的になって来た。