コズミック体 宇宙的無個人:秘教の科学7:町の按摩さん.com

秘教の科学7

 

  1. はじめに 切望と緊張
  2. 沈黙の開花
  3. エーテル体 愛
  4. アストラル体 欲望
  5. メンタル体 気づき
  6. スピリチュアル体 自己知(存在、意識、至福)
  7. コズミック体 宇宙的無個人
  8. ニルヴァーナ体 非存在 無

 




コズミック体 宇宙的無個人



あなたが必要なのは第五身体までだ。
第五身体を超えれば物事は簡単に、自発的になる。
第六身体はコズミック体だ。
その緊張はあなた…あなた個人の感覚、限界の感覚…と無限の宇宙との間にある。
第五段階でさえ、あなたはスピリチュアル体の中で形がある。
あなたは人だろう。
その〈人〉は第六身体にとっては緊張となる。
宇宙に対して緊張のない存在となり、宇宙とひとつになるためには、あなたは個人であることをやめなくてはならない。


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イエスは「自分自身を失う者は自分自身を見出だすだろう」と言う。
この言葉は第六身体に関係している。
それは完全に非数学的なので、第五身体まででは理解できなかった。
しかし第六身体からは自分自身を失うこと、これだけが数学的で合理的可能性なのだ。



私たちは自分自身を高め、結晶化させてきた。
第五身体までは、結晶化、個であること、個性は運ばれ得るものだった。
しかし誰かが個であることを強いるなら、彼は第五にとどまるだろう。
多くのスピリチュアルな体系が第五で止まっている。
魂は固有の個性を持っていて、その個性は開放された状態でさえ残る…あなたは個人であり、あなたの個人性が具現化された存在だと言う人々、またそう言っているどの体系も皆第五で止まる。
そのような体系の中では、神のどんな概念もあり得ない。
それは不必要だ。


神の概念は第六身体でしか訪れない。
〈神〉は宇宙的個人を意味するが、宇宙的無個人と言った方がもっと良いかもしれない。
それは〈私〉が存在しているということではなく…それは私の内側にあって、私の存在を可能ならしめてきたものすべてなのだ。
私はただの点であり、存在の無限の連鎖の中にあるひとつの鎖だ。
もし太陽が明日昇らなければ、私も存在しないだろう。
私は存在から消え、その炎は消滅するだろう。
私は太陽が存在するが故にここにいる。
それはとても遠くにあるが、なお私とつながっている。
たくさんの惑星が死んだように、もし地球が死ぬのならば、私は自分の命が地球の生命とひとつであるために生きていけないだろう。
すべてのものは存在の鎖の中で存在している。
私たちは島ではない。
私たちは大洋なのだ。


第六では個の感覚だけが大洋の感覚…限界のない、始まりも終わりもない、〈私〉ではなく〈私たち〉という感覚…に抵抗する緊張なのだ。
そして〈私たち〉はすべてを含んでいる。
人々だけでなく、有機体だけでなく、存在するものすべてをだ。
〈私たち>は存在それ自身を意味する。



だから〈私〉は第六では緊張となる。
どうやってあなたは〈私〉を失くし、どうやってエゴを失くすことができるのか?
あなたはたった今理解することはできないだろうが、もし第五に到達したならばそれは簡単になる。
それはまるで、気に入ったオモチャをどうやったら投げ捨てられるか思いつかない子供のようなものだ。
しかし子供時代が終わった瞬間、オモチャは投げ捨てられる。
彼は二度とそれに戻らない。
第五身体まではエゴはとても重要だが、第五を超えるとそれは子供が遊んでいたオモチャのようなものになる。
あなたはただそれを投げ捨てる。
何の困難もない。


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もしあなたが突然の光明としてではなく、緩やかなプロセスとして第五に到達したならば、ただ一つの困難がある。
〈私〉を第六で完全に投げ捨てることは難しくなる。
そう、第五を超えてからは、すべてのプロセスが不意であることが助けになる。
第五以前は緩やかなプロセスがより簡単に思える。
が、第五を超えたらそれらは障害となるだろう。


そういうわけで、第六では緊張は個と大洋の感覚の間に存在する。
しずくが海になるためには自分自身を失わなければならない。
それは自分自身を本当に失うわけではないが、しずくの立場からはそう見える。
それどころかしずくが敗けた瞬間、大洋が勝つ。
しずくが自分自身を失うというのは正しくない。
今や大洋になったのだ。